物語とは何か、いろいろな回答があると思うが、
今回は「物語とは、世界の真実を伝えることである」
という見方から見てみよう。
もちろん、フィクションはドキュメンタリーではない。
今アフリカで何万人飢餓にあっているとか、
戦争で何人が死んだとか、
温暖化でこうなっているとか、
トランプは実はこんなに悪いのだ、
とかの取材をして、真実を伝える、
という役目はない。
なぜなら、フィクションの前提は、
「これは嘘ですよ」だからだ。
にもかかわらず、
なぜ真実を伝えられるのだろうか?
それは、フィクションには、
フィクションなりの真実の伝え方があるからだ。
作者の人生観や世界観をAというテーゼと表現するとしよう。
たとえばAは、
「世界は残酷で希望がない」としようか。
としたら、
具体的な残酷エピソード、希望のないエピソードで、
作者は表現しなければならない。
すべて嘘でつくったものなのだが、
「世界は残酷で希望がないなあ」と、
見た人が心からそう思い、
その真実味に体が震えるほどのものでなければならない。
嘘なのに、どこにもないのに、
それは本当っぽいのである。
それは、そのAの性質が、
本物よりも本物に迫っているように描かれているからだと思う。
極端な例を出すと、
オカマのほうが女っぽい、
という話がある。
オカマは女になれなかった心が女の人だから、
女の人になりたくて、
女よりも女の性質を抽出して、
それを煮詰めて、
より女っぽくふるまうようになる。
嘘のほうが真実っぽくなるわけだ。
芝居もそうだよね。
そうじゃないからこそ、
そうであることの本質を見極めて、
それっぽくつくるわけだ。
その結果、
本当のそれなら抜けてて適当にしていることからも逃げずに、
徹底的にそれっぽくつくるから、
本物よりも本物らしくなるわけだ。
全部嘘なのにね。
つまり、嘘のほうが本当っぽい、
という逆転現象が、
よく出来たフィクションには生まれる。
小京都というのが全国のあらゆる所にあるけれど、
京都じゃないからこそ、
京都っぽいエキスだけを抽出してて、
京都の憧れ部分だけが強くなった、
煮詰まった京都みたいになっていることがよくある。
外国の日本ファンのほうが濃い、みたいなことだね。
テーマAが、
本物より本物っぽくなる理由も、
似た理由かもしれない。
嘘だからこそ、
その本当っぽさを煮詰めて、
より分りやすく、本質だけを抽出して、
削ぎ落したものになっているからかもしれない。
本当ならややこしい殺人事件だとしても、
分りやすく人の暗部を描き出すために、
形を変えて、設定も変えて、
より鮮明に浮かび上がるように、
改変しているかもしれないわけだ。
ネガティブなことはわりと簡単なような気がする。
よりひどく、より鮮明に悪くすればいい気がする。
だけどポジティブなほうはもっと難しい気がする。
どうしたら幸せになれるのか?
世界はこのように出来ていて、
この法則を守ったから幸せになれたのだ、
というのをつくらけなればならない。
それが本当かどうかは置いといて、
少なくとも、本当のように見えなければならないわけだ。
それが、世界観ということだ。
「世界はこのように出来ている」ということだ。
たとえば、「親切にしたらいつか返ってくる」
という世界観でフィクションをつくってもいい。
だけど、そんなうまく世の中出来てないよ、
という人たちも納得するような、
そんなものをつくらないと行けないわけだ。
これがドキュメンタリーならば、
「こんな親切が返って来る出来事があったんですよ、
世界は見捨てたもんじゃないですね」
という風につくればいいのだが、
フィクションはなかったことで、
そのようにつくらなければならないわけだ。
だから、ポジティブなものを作ることは、
かなり難易度が高いと思う。
人生を長い間生きた人のほうが、
真実味があることをたくさん知っているから、
そういうものが書きやすいと思う。
若造が「世界とはこのようなものだ」と書いても、
嘘くさくなるだろうね。
「そんなわけないじゃん」に対して、
反論できるほど豊かな人生経験を語れないかだろう。
しかも自分の人生経験を語ったらドキュメントになってしまうわけで、
フィクションなんだから、
架空の人物の架空の物語(事件と経過と解決)で、
語らなければならないわけだからね。
だから、作家の伝えられるテーマAなんて、
そんなにバラエティがないんだよね。
たくさんテーマを探せる人は、
人生や世界について、
たくさんの見方が出来る人だと思うよ。
世界はこうできている。
世界はこうもできている。
人生はこのようなものである。
人生はこのようでもある。
色んな見方があるだろう。
作品ごとに変えていくのが理想だけど、
似たものになりがちな時もあるだろう。
なるべく色んなバラエティをつくり、
色んな人生や世界を見せるべきだと思う。
だってその方が楽しいじゃん。
世界はこうも見れるし、
こうも見ることが出来る。
そういう風なものを、僕らは見たいからね。
また、なぜポジティブなもののほうがいいか、
少し考えたら分る。
「人はすぐに死ぬ」みたいなものを受け取るよりも、
「人はすぐに死ぬ。だからきちんと生きるべきだ」とか、
「人はすぐに死ぬ。でもだから功績が残るのは美しい」などのような、
「世界はこうできている」を見たほうが、
生きる力が湧いてくるというものだ。
わざわざ暗闇に行って、落ち込んで帰りたい人はいないのだ。
2026年06月23日
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