映画は小説ではない。
映画はドキュメンタリーでもない。
劇的な見せ方を要求するメディアである。
だから、あらゆる場面とは言わないが、
重要な場面は、見せる場面になるべきだ。
リアルならとても地味な場面がある。
童貞を捨てる場面なんて、
どんな映画やドラマでも劇的に演出されるものだが、
現実のそれは実にあっさりしたものだ。
会社を辞める場面はストーリーなら劇的だが、
現実では書類を一部送るだけだろう。
退職代行に任せる人すらいる。
リアリティを出すなら、
それもリアルに描く必要がある。
だけど、もしそれがストーリー上印象に残りたい、重要な場面ならば、
作りこんで見せる場面にしたほうがよい。
もちろん、重要でない場面は、
地味に飛ばしてもよい。
これは映画だ。
劇的な場面は強調して劇的にするのだ。
童貞を捨てる場面は、
よりドラマチックになるべきだ。
初恋の人と再会して、その日中に、かもしれないし、
会社を辞めるときは、
みんなが花道をつくってくれて、
おめでとうと祝福されるべきなのだ。
(もちろん重要な場面に限るけど)
そういうことがあると、
「ただのイベント」が、
「ドラマチックなイベント」に変わる。
そのドラマチックさを作ることを、
「演出を入れる」などという。
演出は入れてよい。
リアルなら確率が低いことも、
これは映画なのであってよい。
ただ、嘘くさいものはあるべきではないだけだ。
その、ぎりぎりを用意できるのが、
うまい演出というものだ。
というか、うまい演出というのは気づかれない。
いつの間にかそのドラマチックな流れに、
流されていることが快感になるように作るので、
それが演出だったと気づかれないのが理想の演出というものである。
どんどんドラマチックになっていく。
どんどんリアリティを増していく。
両方をやるのがフィクションというものだ。
ドラマチックにやらずに、
あえて抑えた演出だってある。
大学合格を掲示板を見に行き、
先輩たちに胴上げされる絵をつくってもいいし、
ラインに合格通知が来て、
一人で小さくガッツポーズを、
駅でしててもいいのだ。
それのどっちがドラマチックになるかは、
ストーリーの他とのバランスで決まるだろう。
そうした足し引き、
出しと引っ込めを、
計算してやっているか、
ということだ。
ただリアルなストーリーラインを追うだけが、
映画ではない。
ときに外連味のあるものを入れてもいいし、
外連味の中に急にリアルなものを入れてもいいのだ。
僕が好きなのは、前も書いたけど、
ドラマ風魔で、
姫子が「警察に相談したほうがいいのでしょうか」
と急に現実を持ち出す場面だ。
聖剣とか忍者とかいう外連味だらけのところに、
あえて警察という現実を持ち込むことで、
逆の異化効果を狙ったわけだね。
同様のリアルによる異化効果は、
スクランブル交差点に、
壬生と武蔵を立たせたことだね。
これまで漫画の中の世界だと思っていたことが、
私たちの現実とつながっている、
というリアリティが急に立ち上がる、
いい裏切りだったと思う。
こんな風に、
ただの場面なのに、
「見せる」ということを意識すると、
急に緩急をつけられるようになるかもしれない。
話が上手な人は、平板に話さずに、
緩急がつけられる人だ。
見せる場面と見せるべきでない場面を、
うまく取捨選択できる人、
と言ってもいいかもしれないね。
2026年06月25日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

