基本的には無連想式のジャンルではあるが、
半分は連想式でもある。
学習当初は、「薙刀式のカナの位置」を利用するからだ。
そして半分というのは、
学習が進むとその意識は捨てなければならないからだ。
例を挙げて説明してみる。
たとえば「出」という漢字。
だす、でる、しゅつ、などと読む。
レア読みにすい(出納)がある。
当初は、
た、て、し、すのどこからでも「出」を呼び出そうとしていたが、
ネットワークが複雑すぎてがんじがらめになるため、
現在は、
「代表的な一通り」に限った。
ここで問題が出る。
「出」は、「出る」「出す」どっちがメイン?
国語の問題だろうか?
統計学の問題だろうか?
字義まで戻るべきだろうか?
現状、「て」の位置に「的」を置きたくて、
「た」の位置に置きたい。
だが「た」の裏「お」から始まる「思」が鎮座しているため、
「出」は現在「た」の隣接キーのHにいる。
これによって、
「大体の『た』の位置に『出す』があるな」
という記憶になり、
学習初期は記憶を手助けしてくれるに違いない。
で、「出す」「出さない」「これを出してから」
なんて打っているうちに、
しだいに「出」と「だ」の関係は薄れていく。
運指で覚えてしまうからだ。
ここまで来ると、
「出る」も打てるようになる。
「た」の音と最初はバッティングして「だる」
と内声を発してしまうが、
そのうち打てるようになるんだよね。
変なの。
「出来る」なんて一連の線も打てるようになってしまう。
ここまで出来て、ようやく脳内の内声はやむようだ。
ただやはり学習途中の漢字は内声が伴う。
音を出して薙刀式の位置を確認して、
その近辺で思い出そうとする、
みたいなことをやっている気がする。
あるいは、「この面にあるはずだが」
と、音と関係ない面の情報が先に出てきたりする。
興味深いのは読みがなの音節数と、
漢字熟語の打鍵数の差だ。
たとえば「意見」はどちらも一打漢字なので2打で打てる。
「いけん」に対してOSの2打なので得した気になる。
「見解」になると「解」が二打漢字なので、
SVIと3打になる。
これも「けんかい」より少ないので得した気になる。
これは「見」が一打漢字だからだ。
「解決」だと「決」が二打漢字のため、
VIVWと4打になり、「かいけつ」と同打鍵数になる。
(シフトキーは話がややこしくなるので省いています)
こうすると、「得したのか得してないのかわからん」
という感覚が出てくる。
「かいけつ」でまあ一意変換できるからどっちでも同じか、となる。
だけど、速度を犠牲にしてでも、
解決が変換なしで打てると、脳直の感覚になるのよね。
これが気持ちいいみたい。
ということで、
たぶん今後解決と打ちたい時は、
「かいけつ」とひらがなを打たず、
VIVWと行く可能性が高くなった。
さて、次の問題は、
「よみがなより漢字の打鍵数が多い時は?」だな。
変換の為のスペースキーを1打と数えれば、
一打差でどっこい、二打多ければ漢直の負け。
(手間だなあと思う心がどれくらいまで耐えられるかだな)
カナ 漢字
意味 いみ
余計なカナを打ってしまう癖があるみたい。
今「分る」は二打で打てるのだが、
油断すると「わかる」の癖で、
「分かる」と3打にしたがる癖があるようだ。
この「か」が嫌いでこうしたというのに、
なぜこの呪縛に。
なので、「読みをカナで入力して変換する」の、
どこかの過程で、
微弱ながら内声は発生してるのでは?
自分には聞こえていないが、
という仮説も立てられそう。
うーんなんもわからん。

