2026年05月28日

【薙刀式】脳内カナ変換

カナ配列使用者が、
ローマ字配列を卒業して振り返ると、
「脳内ローマ字変換がいかに思考に枷をかけていたか」
という実感を話す事がある。
ことの大小はあれど、ほぼ全員の実感だと思う。

それとまったくパラレルで、
漢直使用者が、
カナ漢字変換を卒業して振り返ると、
「脳内カナ変換がいかに思考に枷をかけていたか」
を実感する、のではないだろうか。


僕の中には脳内発声がない。
漢字は文字や概念や絵として存在する。

その概念をそのままおっことしたいのだが、
カナ漢字変換のために、
1回脳内でカナに変換しなければならない。

僕は「脳内」という概念を書きたいのであって、
「のうない」を書きたいのではない。

脳内発声がある人は「?」と思うかもしれない。
僕の脳内では音を経由せずに、
読み書きが行われている。
だから音は本来ないものだ。
なのに音を使うのはとても苦痛なのだ。

実際にはひらがなを書くときに音は鳴ってなくて、
文字の存在だけと付き合っている。
だから別に漢直なくてもいいよなと思っていた。

だけど漢直をやってみるとわかるのだ。
脳内発声がないと思っていたが、
カナ漢字変換のための読みには、
かすかに読みの音があるのでは?と。

無音だと思ってたけど、
もっと静かな部屋を知ってしまうと、
前の部屋にはうっすら音が鳴ってたぞ?
と気づいてしまった感じだ。


これは、脳内ローマ字変換
(ひらがな→ローマ字)のように、
脳内カナ変換(漢字→ひらがな)があることが、
示唆される。

まあそりゃそうよね。
「示唆」が僕の脳内にあるにも関わらず、
「しさ」と打たないといけないからだ。

ここになんらかの抵抗があるぞ、
と、ないものを経験して気づいてしまった。



文章というものは、
脳内の思考を1対1対応で写像できる道具ではない。

ある角度から見た一部の影のような形でしか射影できないと僕は思う。
読み手は、その影から僕の思考を復元するわけだ。

だから正しい文章の書き方とは、
うまーく次元を落として射影することと、
影から復元しやすいように、
影をうまーく整えておくことだ。
(誤解されたら復元できなくなるし、
そもそもその影は読み取りやすくなければならない)

1対1対応をあきらめて、
3割方復元できればよしとして、
あとは想像と責任にまかせることが、
文章を書くことである、といえる。

その塩梅や、言葉の選び方や、
構成や論旨の流れについて僕は考えたい。

なのにそれを、脳内カナ変換しなければならない。
なんという無駄だ。俺の足を引っ張ってやがる。

さらにローマ字だって?
二重に足を引っ張られてるぞ、よくみろ。


秒7.5打鍵できないローマ字使用者は、
僕はまともに日本語が書けないとすら思っている。
だって脳内ローマ字変換と、
脳内カナ変換の、二重に足をとられてるからだ。

7.5以上打てるなら、カナで秒5くらいだから、
そこでようやく文章と内容の射影関係に、
気を配れるだろう。

そしてqwertyローマ字で秒7.5は普通の人には速すぎる。
誰もが達成できる速度ではない。



タイピングは泥沼に足を突っ込んでるみたいだ。
脳内カナ変換で足を取られ続けてるんだ。
脳内ローマ字変換でさらに取られてる人もいる。

これは、
部分的ながら漢直をやってみて、
初めて理解できた感覚だ。

嬉しいー解放ー!
というわけではなくて、
それまでのデフォルトが沼の中にいたのかよ、
って愚か者に見える感じ。
今普通だけど、過去を振り返るとゾッとする、
みたいなことだね。


ローマ字から脱却してカナに移った人には、
この感覚が想像できると思う。

それ以外の人に、どうやってこれを伝えればいいかわからない。


ケツの穴から手突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろか、
という大阪の下品な表現がある。

漢直はちゃんと奥歯をつかめてる。
カナは膜があって、
ローマ字はさらにその上に膜がある感じ。
qwertyローマ字は、さらに分厚くて鈍い膜がある。

奥歯をガタガタ言わせたい。
そうじゃないと、
思考と文章の関係を触れない。

隔靴掻痒だったと、
靴を脱いで始めて理解できる。


ボンタンアメの、
オブラートが何重にも包まれてる感じ?

今僕はオブラートなしのボンタンアメを食らっている。

(フル漢直でないのは残念だ。
でも一部の膜がないだけで、
ずいぶんストレートな感じになる)
posted by おおおかとしひこ at 20:37| Comment(2) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
『秒7.5打鍵できないローマ字使用者は、
僕はまともに日本語が書けないとすら思っている。
だって脳内ローマ字変換と、
脳内カナ変換の、二重に足をとられてるからだ。』

それは脳内発声がない大岡さんにとっての話ですよね?ローマ字使用者全体に対してまともに日本語が書けないなど極論を展開されるのは如何なものか…

かな配列はローマ字より打鍵範囲が広く、2階建てにしてもまだ広く、さらには入力経路もシフト動作や同時押し等で複雑ですし、脳内変換よりその打鍵運動の複雑さや打鍵範囲が広大なことによる、脳や指の疲れの方が気になります。脳内発声がある多くの人にとってはローマ字でも十分まともな日本語書けます
Posted by 囚人C at 2026年05月29日 07:56
>囚人Cさん

>それは脳内発声がない大岡さんにとっての話ですよね?

はい。僕のブログなので。
ぼくがそう思ったという話です。

逆に、他の人の脳内はのぞけないので、
どんどん話をしてほしいです。


> 脳内変換よりその打鍵運動の複雑さや打鍵範囲が広大なことによる、脳や指の疲れの方が気になります。

これは漢直をやってみてわかったんですが、
ぜんぶトレードオフの関係にあると思います。
僕はローマ字の打鍵数の多さが許せなくて、
打鍵数削減を取って複雑さを受け入れました。

また、仮に複雑で負荷が大きく、遅かったとしても、
脳に直結する感覚の方式を僕は採用するはずで、
手書きの方がいまだ優れていると考えます。

ちなみに身体への負荷は、
これだけキーボードの物理を工夫してるにも関わらず、
手書きの方が楽ですね。
(僕の手書きは極限まで負荷を減らした、
他人には読めないニョロニョロ文字ですが)


> 脳内発声がある多くの人にとってはローマ字でも十分まともな日本語書けます
ぜひ動画で見せてください。
どういうことが起こってるのか、
意外とローマ字の普通の文章の動画ってないんですよねー。
僕はついにローマ字でその領域まで行けなかったので、
「行けた人」の動画を見たいです。
Posted by おおおかとしひこ at 2026年05月29日 08:27
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