2026年05月30日

【薙刀式】筆に痛覚は発生する

道具は手の延長である、なんてよくいう。
刀は身体の一部になるまで鍛えるものだ。

じゃあ痛覚は発生する?

僕は刀を持たないが、
ペンや筆に痛覚は発生するね。
誰かに叩かれたら「イテッ」って思うと思う。


それは手で持ってて、
持ってる手の部分で感じるから?

物理的にはそれしかないだろうけど、
筆を持ってる時はそこまで身体の延長であるように、
神経系が切り替わっている感覚がある。

ある程度ペンや筆を使ってる時は、
それが身体から離れても、
何かがぶつかったらイテッて思う。
落としてもイテッて思う。

ドライバーとかは車まで身体感覚が拡張されてるから、
たとえばボンネットを凹まされたとき、
「修理代いくらかかると思ってんだコラァ!」ではなくて、
「イテェなこの野郎!」という反応になると思う。


その神経の通り方の深さや広さは個人差や得意があるとして
(たとえば僕はボールとは友達になれなかった)、
道具を使うというのは基本的にはそういうことだと思うんよね。

それはサルにおいても確認されてるのかー。
おもろいな。
https://x.com/catfist/status/2060037588136935697?s=20



そういえば僕は左右分割キーボードを使って久しいが、
最初の頃は、
「人体には自然体という唯一のエネルギー最低姿勢があり、
そこから少しでもずれると無駄なのだ」
などと錯覚していて、
左右の位置や角度やテントチルトを含めて、
徹底的に決める事をやっていた。

でも実際には、
人は5分10分で重心を変えて、
疲れないようにする
(校長先生の話をきくときに、
左右で体重を変えるみたいなこと)ので、
「ただ一つの姿勢」などないことがわかった。

自然体とは静的ではなく動的であること、
みたいなことだ。

なので、
「常に私は動いている」を前提に、
左右のキーボードは置けばいいし、
そもそも手に従って常に動かしてもいいのだと気づく。

むしろ、「動かせること」が、
左右分割キーボードのいいところなのだ。

ペンがもし固定された位置にあったとしたら、
使いにくくてしょうがない。
身体が拘束されるだろう。


私は常に自由であり、
道具はそれに従うべきだよね。

そういえば僕は身体を拘束するものがとても苦手で、
ネクタイを締めたくないという理由だけで、
スーツを着る仕事をしなかった。
拘束は一生を決める価値観になってるな。


「左右分割キーボードは肩を開く
(唯一のスイートスポット)位置に、
キーボードを置ける」
という考え方は、
まだ一体型キーボードを中心とした、
家具的価値観に囚われている。

「左右分割キーボードは、
手の位置に合わせて自由に動かせる。
時に開き、時に閉じてよい」
と考えた方が、
道具的価値観になるのではないか。


むしろ、「マウスみたいに自由で良い」
のが、本来の手の延長じゃないかしら。

僕がトラックボールやらないのもそこなんよな。
トラックボールはそれ自体を動かす前提のデザインじゃないからね。
台ごと動かせるならマウスでいいよねってなっちゃう。
人差し指が疲れた時用に中指トラックボール
(Orbit)は一台キープしてるけど、
ペンマウスのほうが楽かもしれない。



というわけで、
手の延長として左右分割キーボードは使うし、
キーボードに痛覚は発生している。
たとえばキーボードにデコピンされたら痛いんじゃないか。
幻肢感覚に近いよね。

だからッターンなんて信じられない。
やさしく撫でるべきだ。
(たまに強い刺激はいいかもだけど)
posted by おおおかとしひこ at 11:34| Comment(2) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
握るようなトラックボールだからよくないのよ。Slimbladeとかの「座布団型」にしましょう。
Posted by ラクダエン at 2026年05月30日 12:52
>ラクダエンさん

自宅ならスリムブレードを選んでただろうけど、
持ち運びもあるので最近はずっとペンマウスですねー。
Posted by おおおかとしひこ at 2026年05月30日 13:11
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