2026年07月08日

世界は良くなるはずだという希望

がないと、なんなんだろう、ってなるんじゃないか。


世界はよりひどくなる。
そんなものを突き付けられても、
しんどくなるだけだ。
平和ボケしている人たちに向ける刃としてはありかもしれないが、
今平和ボケの時代でもあるまい。

世界は良くも悪くもならない。
それを言われても、
はあ、まあそんなもんでしょ、
としかリアクションできない。
芯を食った感じはしない。


だから、
芯を食うには、
世界は良くなる可能性がある、
というポジティブなものがいいと思う。

これは、
陽気な、積極的な理由であってもいいし、
消去法で導いたものであってもいいと思う。

いずれにせよ、
世界はもっと良くなるというポジティブなものだと、
見て気分がいい。
気分がいいと、まあ言うことも聞いたろ、
ってなるわけ。

これは、作品とはコミュニケーションである、
ということでもあるわけだ。


誰かが何かの作品をつくることは、
誰かが誰かに通信することだ。

誰かが誰かの作品を受け取ることは、
誰かが誰かに通信されることである。

ということは、
「それはなに?」が必ずあるということだ。


それが、プラスにもならずマイナスにもならないものは、
ピンと来ないだろうし、
マイナスになるのならしんどいだけになるだろう。

ということで、世界を救え、というほどでなかったとしても、
多少良くなるよ、という希望は見えるといいよね、
ということだ。


どれくらいの希望を見せるのかは、
作品によると思う。
グラデーションがありえる。
その希望の持たせ方は、
その作品の説得力に関係してくる。

たいして説得力がないのに、
世界は必ず明日ハッピーになる、だったら、
何も良くないだろう。

つまり、その希望の具合は、
説得力に比例する。

ものすごく希望を持たせたかったら、
ものすごく説得力があるものを作るべきだし、
少しだけの希望だったら、
よりリアルな説得力でつくればよい。


あなたが世界に希望を持っているかどうかはどうでもよい。
ディベートだと思えばいい。

ディベートなんて嘘だと思っていることでも、
勝つことが出来る。
説得力の勝負なのでね。

だから、ある種のプレゼンと思えばいい。
プレゼンのテーマとして、
「希望がある」というだけに過ぎない。


世界は良くなるだろうか。
たぶん、良くしようとする人がいるから、
良くなるんだと思う。
自然に良くなることはない。

で、たぶん一人で世界を良くすることは出来ないので、
複数の人で良くすることになると思う。

そのときに、ドラマが生まれやすいと思う。
良かれと思って逆になる人もいるだろう。
そうやって、希望の見方だって人によって違うので、
そこでコンフリクトをつくることになるだろう。



世界は良くなるかもしれない。
そう思っている人たちがいる世界は、
たぶん面白い。
posted by おおおかとしひこ at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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