がないと、なんなんだろう、ってなるんじゃないか。
世界はよりひどくなる。
そんなものを突き付けられても、
しんどくなるだけだ。
平和ボケしている人たちに向ける刃としてはありかもしれないが、
今平和ボケの時代でもあるまい。
世界は良くも悪くもならない。
それを言われても、
はあ、まあそんなもんでしょ、
としかリアクションできない。
芯を食った感じはしない。
だから、
芯を食うには、
世界は良くなる可能性がある、
というポジティブなものがいいと思う。
これは、
陽気な、積極的な理由であってもいいし、
消去法で導いたものであってもいいと思う。
いずれにせよ、
世界はもっと良くなるというポジティブなものだと、
見て気分がいい。
気分がいいと、まあ言うことも聞いたろ、
ってなるわけ。
これは、作品とはコミュニケーションである、
ということでもあるわけだ。
誰かが何かの作品をつくることは、
誰かが誰かに通信することだ。
誰かが誰かの作品を受け取ることは、
誰かが誰かに通信されることである。
ということは、
「それはなに?」が必ずあるということだ。
それが、プラスにもならずマイナスにもならないものは、
ピンと来ないだろうし、
マイナスになるのならしんどいだけになるだろう。
ということで、世界を救え、というほどでなかったとしても、
多少良くなるよ、という希望は見えるといいよね、
ということだ。
どれくらいの希望を見せるのかは、
作品によると思う。
グラデーションがありえる。
その希望の持たせ方は、
その作品の説得力に関係してくる。
たいして説得力がないのに、
世界は必ず明日ハッピーになる、だったら、
何も良くないだろう。
つまり、その希望の具合は、
説得力に比例する。
ものすごく希望を持たせたかったら、
ものすごく説得力があるものを作るべきだし、
少しだけの希望だったら、
よりリアルな説得力でつくればよい。
あなたが世界に希望を持っているかどうかはどうでもよい。
ディベートだと思えばいい。
ディベートなんて嘘だと思っていることでも、
勝つことが出来る。
説得力の勝負なのでね。
だから、ある種のプレゼンと思えばいい。
プレゼンのテーマとして、
「希望がある」というだけに過ぎない。
世界は良くなるだろうか。
たぶん、良くしようとする人がいるから、
良くなるんだと思う。
自然に良くなることはない。
で、たぶん一人で世界を良くすることは出来ないので、
複数の人で良くすることになると思う。
そのときに、ドラマが生まれやすいと思う。
良かれと思って逆になる人もいるだろう。
そうやって、希望の見方だって人によって違うので、
そこでコンフリクトをつくることになるだろう。
世界は良くなるかもしれない。
そう思っている人たちがいる世界は、
たぶん面白い。
2026年07月08日
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