田中さんは脳内発声のある状態で書いてても、
薙刀式は快適らしい:
https://x.com/hirotana_jp/status/2065590761501122661?s=20
より発話構造に近いと予測されているメジロ式や、
そもそも音声入力どうなんや?
という興味はたしかにわかる。
僕が音声入力をやらないのは、
そもそもしゃべるのが下手だからだ。
しゃべるのが下手だから、
書く事に特化したのだといえる。
脳内発声は最初からなかったのか、
苦手だから書く方が成長して、
音関係は成長しなかったのかは、
よくわからない。
記憶では、ドラえもんを読み始めた頃から、
脳内発声はなかった気がする。
脳内発声があり、
読む時も書く時も声があって、
ペンで書く時もタイピングする時も声があるなら、
それを別の道具に持ち替えても、
まず声ありきなんだからなんとかなりそう。
僕は手の感触や触覚(空間感覚もふくめる)でものを書くので、
手がかりがなさそうという予感はある。
たぶん僕が発話形式で何か書くと、
絶対話がよれていくと思う。
オチまで話がいかなさそう。
普段喋ってるときにそこまでやらないからだろうね。
全部思いつきだもんな。
講演会や授業をたまにやるときは、
全部頭の中で構成を作って、
メモ書きがあるときだけだなー。
そして喋るよりもテキスト化のほうが圧倒的に情報量あるから、
しゃべることのメリットが僕にはほぼない。
他の人たちと高速で情報交換するのにはメリットだけど、
落ち着いてものを書く時にもその道具を使う感覚がわからない。
つまり、他人との情報交換と、
自分の中で深く掘り下げるのには、
僕は喋りと、脳内発声なしの書く事という、
異なる道具を使ってるっぽいな。
そして、既存システムが、
自分の「書く」にあまりにも合ってないから、
薙刀式を作らざるを得なかった、
ということだろう。
脳内発声がある人がつくった、
脳内発声がある人の為のシステムは、
そうでないものよりも合うかもしれない。
あるいは、特定の何かとの相性、
というのがあるかもしれない。
すべてはわかっていないので、
試して、状況証拠を積み上げるしかなさそう。
2026年06月13日
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そして時折、脳内発声の速度を薙刀式の指(文字出力)が追い越していくことはあります。それが大岡さんの仰っている脳内発声のない状態と近しいのかどうかは分からないのですが、「脳内発声が行われる」「それを指で文字に起こす」という一連の流れよりも、「思考の起りを指が文字にしていく」のほうが無駄が少ないので、そのぐらい指とキーボード(薙刀式)が馴染んでいかないかな、追い越していく感覚を常態化できないかな、と意識してみている今日この頃です。
疲れているときや、指に血流が行き届いていないとき(かじかんだようになっているとき)、二日酔いのとき等は「指が追い越して」いかないので、常時そのような状態で打ち続けるのは今のところは至難の業のように思えてはいます。
>脳内発声は常にありますが、それでもその声を文字に起こさないといけないので、それが効率的に実行できる薙刀式は変わらず便利だと思っています。
ふむふむ。まあそれはそうかもですね。
>そして時折、脳内発声の速度を薙刀式の指(文字出力)が追い越していく
身体が意識を超えた瞬間ですね。
武術の達人のような、考える前に体が動くパターンだと思います。
> それが大岡さんの仰っている脳内発声のない状態と近しいのか
僕はその速度で書いているので、おそらくそうかと。
内声があると本を読むのが遅くなることから、
声のスピードより思考が速いときや、自動化された思考のときは、
そうなると考えられます。
うまくゾーンに入れたらなるでしょうが、毎回期待せず、「あの時のような感覚」と記憶していくと、再現性が高まるらしいですよ。