2026年06月22日

ハイコンセプトの話のつづき

ハイコンセプトが生まれにくくなっている、
のが現代のような気がしている。


音楽は有限個の音符の組み合わせである、
だからほとんどの組み合わせは過去に作られてしまった、
という感覚に似てるかもしれない。

映画が莫大につくられて、
美味しいところは先に作られてしまっている、
という現象がありそうだ。

また、解像度があがってきたせいで、
コンプライアンスとか、リスクとか、
偏見に敏感になってきたこともある。

「昔ならできたけど」と言われてしまうけれど、
だから面白かったやつは、
たいてい乱暴なものだ。

だから先進国では新しいハイコンセプトは生まれにくく、
発展途上国や今まさに成長してる国が、
ハイコンセプトを生みやすいと思う。

インド映画なんてまさにそうで、
先進国が失っている、「原始の力」に魅力がある。

日本だって70年代はめちゃくちゃ原始だし、
80年代はポップな軽みに移行して、
90年代は爛熟したわけだ。
90年代文化はまとめて今「平成」として認識されてるね。

そこから令和になって、
ハイコンセプトが生まれにくくなったのは、
あきらかにコンプライアンスの規制だろう。
ネット社会になって、
炎上リスクを考えなければならないことが、
まず第一にブレーキをかけている。

かつてなら「やってしまえ」という判断もあったが、
今は何重にもブレーキがあり、
尖った牙を抜かれたものしか放流されないことが増えた。
会社が大きくなりすぎて、
たくさんの人を守らなければならない事情もあるだろうな。


たとえば、
沖縄にできたジュラシック・パークみたいなジャングリア沖縄は、
ハイコンセプトだと「おもしれー!」だけど、
危険じゃないよねとか、環境配慮どうなってんのとか、
暑いんじゃないの?とかの、
余計な解像度を想像して冷めてしまう。
そのコンプライアンス感が、
ハイコンセプトを殺している。

出た杭を叩こうとする力だ。


かつてハイコンセプトの連発だったハリウッドも、
迷走期に入っていると言える。

ブラックライブマターからの人種ウォッシュや、
ポリコレで、
ハリウッドは物語の根幹を失いつつあるように見える。
ブレイクシュナイダー理論があまりにも浸透して、
全部同じ型にハマってるという嘲笑も聞く。

今の型からは、
全盛期だと僕が思う「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や、
「スタンド・バイ・ミー」や「トップガン」や「マトリックス」
なんかは生まれなさそうなんだよね。

情報が行き渡りすぎて、
全部混ざって同じ色になってしまったから、
かもしれないけれど。


次のハイコンセプトはどこから生まれるのだろう?
ここじゃないどこかなのだろうか。

そういう意味では異業種監督枠がたまにあるのが、
最近めっきりへったよなあ。
あれもバブルの徒花だったのだろうかね。


それでも僕らはハイコンセプトを考えるのだ。
だっておもしろいじゃん。そっちのほうが。
posted by おおおかとしひこ at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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