ハイコンセプトが生まれにくくなっている、
のが現代のような気がしている。
音楽は有限個の音符の組み合わせである、
だからほとんどの組み合わせは過去に作られてしまった、
という感覚に似てるかもしれない。
映画が莫大につくられて、
美味しいところは先に作られてしまっている、
という現象がありそうだ。
また、解像度があがってきたせいで、
コンプライアンスとか、リスクとか、
偏見に敏感になってきたこともある。
「昔ならできたけど」と言われてしまうけれど、
だから面白かったやつは、
たいてい乱暴なものだ。
だから先進国では新しいハイコンセプトは生まれにくく、
発展途上国や今まさに成長してる国が、
ハイコンセプトを生みやすいと思う。
インド映画なんてまさにそうで、
先進国が失っている、「原始の力」に魅力がある。
日本だって70年代はめちゃくちゃ原始だし、
80年代はポップな軽みに移行して、
90年代は爛熟したわけだ。
90年代文化はまとめて今「平成」として認識されてるね。
そこから令和になって、
ハイコンセプトが生まれにくくなったのは、
あきらかにコンプライアンスの規制だろう。
ネット社会になって、
炎上リスクを考えなければならないことが、
まず第一にブレーキをかけている。
かつてなら「やってしまえ」という判断もあったが、
今は何重にもブレーキがあり、
尖った牙を抜かれたものしか放流されないことが増えた。
会社が大きくなりすぎて、
たくさんの人を守らなければならない事情もあるだろうな。
たとえば、
沖縄にできたジュラシック・パークみたいなジャングリア沖縄は、
ハイコンセプトだと「おもしれー!」だけど、
危険じゃないよねとか、環境配慮どうなってんのとか、
暑いんじゃないの?とかの、
余計な解像度を想像して冷めてしまう。
そのコンプライアンス感が、
ハイコンセプトを殺している。
出た杭を叩こうとする力だ。
かつてハイコンセプトの連発だったハリウッドも、
迷走期に入っていると言える。
ブラックライブマターからの人種ウォッシュや、
ポリコレで、
ハリウッドは物語の根幹を失いつつあるように見える。
ブレイクシュナイダー理論があまりにも浸透して、
全部同じ型にハマってるという嘲笑も聞く。
今の型からは、
全盛期だと僕が思う「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や、
「スタンド・バイ・ミー」や「トップガン」や「マトリックス」
なんかは生まれなさそうなんだよね。
情報が行き渡りすぎて、
全部混ざって同じ色になってしまったから、
かもしれないけれど。
次のハイコンセプトはどこから生まれるのだろう?
ここじゃないどこかなのだろうか。
そういう意味では異業種監督枠がたまにあるのが、
最近めっきりへったよなあ。
あれもバブルの徒花だったのだろうかね。
それでも僕らはハイコンセプトを考えるのだ。
だっておもしろいじゃん。そっちのほうが。
2026年06月22日
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