なんで合理的な新配列にしないのか。
「今のままで十分なので……」
という話はよく聞く。
そういえば明らかにフリックのほうがいいのに、
フリックにしてない人の理由を知りたいなあ、
と調べていたら、
下記のようなものにあたった。
重要なので引用する。
ーーー引用ここから
タッチパネル操作自体に問題がないのにフリック入力ができない(あるいはしない)人がいるのは、私も非常によく分かります。結論から言うと、これは「慣れの力」と「インセンティブの欠如」という二つの壁によるものだと考えています。
私自身はフリック入力を使っていますが、私の周りにも昔ながらのトグル入力(ガラケー打ち)を頑なに続ける人がいます。
1. 慣れた方式を変えるコスト
一番の理由はやはり「慣れ」です。トグル入力に習熟している人にとって、「あ」を打つのに1回、「い」を打つのに2回、と連打する動作は、もはや無意識のルーティンです。
フリック入力が圧倒的に速いのは誰もが認めるところですが、その高速な境地にたどり着くには、一時的に「今までよりも入力速度が落ちる期間」を我慢して練習しなければなりません。
トグル入力に慣れ切った人からすると、「今のままでもメッセージのやり取りには間に合っている。わざわざイライラして練習するくらいなら、慣れたトグルでいいや」という判断になってしまうのでしょう。
2. 高速化の必要性を感じない
フリック入力は、長文を連続で打つ時にこそ真価を発揮します。しかし、現在のスマホでのコミュニケーションの多くは、短文メッセージやスタンプ、短い返信が中心です。
普段のやり取りが「了解」「今から向かう」「ご飯どうする?」といった数文字程度の入力で済む場合、トグル入力でも大きなストレスは感じません。つまり、高速化によって得られるメリットが、新しいスキルを習得するコストを上回らないため、行動を変える動機が発生しないのです。
要は、「現状維持で十分」という極めて合理的な判断の結果として、「フリック入力ができない人」ではなく、「フリック入力にあえて切り替える必要性を感じない人」がいるのだと思います。
ーーー引用ここまで
これは、「今のままでいいのに、どうして変えるの?」
という現状維持慣性効果ともいえるね。
UI、とくにいつも触れているものには、
強力な慣性効果がかかる気がする。
いつも行ってるめしやの味が変わったとかね。
僕が気になってるのは、
水道のカランだ。
左右にひねるタイプではなく、
上下にするタイプね。
昔は下に下ろすと水が出て、
上に上げると水が止まるものだった。
下に下げるのと水が下に落ちるのが、
直感的に合ってるので、
アフォーダンスが合ってて良いと思う。
だけどこれは、
震災をきっかけに逆になったんだよね。
上から何か落ちてきたときに、
カランに当たって水が出しっぱなしになる事故が多発したらしいのよね。
だから今では、
上に上げると水が出て、
下に下げると水が止まる方式になっている。
アフォーダンスと逆で大変使いにくい。
もし震災がなく、
水出しっぱなし事故がなかったら、
カランは今でも昔のままだったろう。
つまり、その思想を理解しないかぎり、
現状維持慣性効果がめちゃくちゃ働くと思う。
「なんで今のままにしとかないの?」
ってなる。
思想を理解したとしても、
「前の方が直感的でいいじゃん」と、
僕は思ってるくらい。
事故は起こるよ。
起こった時の事故よりも普段使いが楽な方がいいじゃん、
とすら思うね。
ややこしいのは混在してるときで、
どっちだよってなる時があるよね。
これなんかは、
典型的な、
「変える必要ある?」って例だ。
トグル入力からフリック入力に変えないのと、
qwertyから新配列に変えないのは、
同じ理由だ。
「変える必要ある?」って思ってるからだ。
一抹の「適応するのがだるいから、今のままでいい」
という無意識があり、
それを認めたくないがゆえに、
「必要性を感じない」と、
理性で否定してしまう認知的不協和がありそうだが、
まあそれは置いておくとしよう。
そもそも、「速くなる」というインセンティブが良くない。
「今から帰るわ」なんてショートメッセージを、
2倍速く打てる程度では何も効果がない。
この人はインセンティブをその程度だと考えている。
だからいらないというのだろう。
「速くなる」のはインセンティブじゃないんだよな。
真の効果は、
「たっぷり書ける」ってことだと思う。
距離(文字数)=速さ×時間だ。
2倍速くなると、時間が半分で済む、
と考えるからインセンティブがないのだ。
2倍速くなると、2倍書ける、
と考えるべきなのだ。
1行しか書けないメッセージが、
ついでに心を込めた2行目も書ける。
3枚しかない読書感想文が6枚書ける。
きっとたっぷり論じる事ができる。
1万字の論文が2万字書ける。
きっと考えうる他の場合や、
想定される反論への答えも書けるに違いない。
10万字の小説が20万字書ける。
きっとサブストーリーの充実や、
設定の深さを掘れるに違いない。
その時考えていたことの、解像度もめちゃくちゃ上がる。
2倍書くこととは、2倍深く考えることである。
あなたの思考は、新配列を得ることで深くなるのだ。
つまり、あなたの知性は上がるのだ。
逆を考えよう。
10万字の小説が5万字しか書けない。
まだ半分いかないうちに疲れちゃう。
1万字の論文が5000字しか書けない。
まだ結論に全く辿りつけそうにない。
2行のメッセージが1行しかない。
要件しか伝えない、
冷たい人だと思われるだろう。
つまり、
新配列とは、沢山書くためにある。
効率の悪い旧配列を使ってるということは、
あなたはバカになっている。
あなたの知性が本来の知性の、
1/2の出力しか出せないと仮定せよ。
それでいいのか?って話よ。
半分のバカだと思われているってことだ。
実際、この回答者は論理的に語れている。
もちろんトグル入力で書かずに、
キーボードで書いているだろう。
その知性をトグル入力では書けまい。
遅いからである。
もっと高速なフリックに変えたら、
PCキーボード並に書けるかもしれないよ。
スマホで、PC並みの文章が書けるとしたら、
スマホで、知性が発揮できるようになる。
そうした身体拡張が新配列だ。
実の所は身体拡張ではない。
「本来の知性まで、言葉を取り戻す」ことが目的だと言ってもよい。
劣悪な道具は、
あなたの本来の知性をしばりつけ、
劣化させている。
本来飛べる力がある鳥が、
羽根を切られているようなものである。
速くなるのではない。
本来の自分に戻るだけなのだ。
だからバカは新配列をやる必要はない。
「わたしはこのままでいいので……」
という人は、
「わたしはこのレベルのバカです」
と言っているのに等しい。
知性のある人だけが、やるべきじゃないかしら。
極論だけど。
もちろん、
UIを変える痛みや苦しさはある。
水道のカランのように、
まだ慣れてないUIがあるくらいだ。
明日から右ネジと左ネジが逆になります、
とか言われたら「なんでこのままでできないの?」って、
現状維持効果を発揮するだろう。
2倍速くなるのではない。
2倍遠くに行ける。
もっと遠くまで。
もっと深くまで。
「速い」は手段の話をしている。
「遠く」「深く」は、目的の話をしている。
「今のままでいいので……」という人は、
手段と目的の混同をしている、
バカな人だと言える。
2026年07月02日
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それに、大西配列への批判に仕事関係が多かったことからも会社員は練習時間の捻出が難しいのではないでしょうか。
つまり、新配列を訴求すべき相手はなるべくタイピング練習をしたことのない初心者で、かつ自由時間の多い人、大学生とかであると私は考えます!彼らはどうせ暇でしょうし、タイピングが遅くなっても困りません。
僕らが大学生の頃のPC普及率は低かったけど、
いまどきはみんな持ってるのかしら……
実際大西配列が普及してるのも、
社会人というより学生な気がしますけどね。
ただ猛烈に書く人は、
おそらく社会人やりながら仕事終わってから書く人とか、
そういう人が多いはず。
また、エンジニア的な知識のある人ほど、
配列を変える仕組みと合理性が理解できるが、
暇も必要性もない。
……この三すくみがありそうです。