2026年07月03日

【薙刀式】ペンは剣より強し

実際に命を狙われたことはないけれど、
命か、何かを言うか、
の二択になったとき、
命を引き換えにしても言うべきことがあれば、
僕は言うと思う。

ただその記述に、qwertyローマ字ではだめだ。


書くことは僕の命を差し出していることに等しい。
どうでもいい冗談から、
真剣なことまで、
僕は命を張って書いてるわけだ。

この書くということが僕の命の軌跡であるわけだ。

その軌跡を刻もうとしているときに、
書けないボールペンを使うやつがいるだろうか?

10分やる、最後の言葉を書いて良い、
とqwertyローマ字を渡されたら、
てめえふざけんなと突き返すだろう。


私は思考で出来ている。
思考は言葉にすることで外に出せる。
言葉を呼んだ人はそれを通じて私の思考を知り、
内的会話ができる。

つまり思考は私の命そのものだ。

この、思考から言葉に至るタイピングのルートが、
あまりにも糞みたいだと、
僕は手書きマスターの立場から批判しているわけだ。

薙刀式+ワンショット漢直をつくり、
自作キーボードで、
改造キースイッチや自設計3Dプリントキーキャップをつくるのは、
「キーボードが手書きに足りていない」からだ。

つまりqwertyは私を殺していた。
だから僕はqwertyを殺して、
代替案を提案している。


qwertyローマ字に命を差し出す価値はない。
それは初期の馬車や車のようなものだ。
何人も死んで、今の車に技術が進化したのだ。

馬車や車は人が死んだから、
改良が進んだ。
思考の死者が目に見えないから、
改良が進まないのだ。

馬車や車は人を何人殺しただろう?
何億人レベル?

qwertyローマ字は、1億人は日本人を殺してるね。
数万人くらいのごくわずかなqwertyをねじ伏せた人だけが、
死なずに済んでるだけだろう。


命が欲しければ薙刀式を使え。
思考を確保したければ、手書きか薙刀式を使え。

薙刀式のところには、他の新配列を代入してもよい。
そこは人によるだろうから。


ペンは剣より強い。
そしてペンの形は自由だ。

命と引き換えに書くべきものを、
書けないボールペンで書くなよ。
posted by おおおかとしひこ at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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