2026年08月01日

短編は才能、長編は技術

15秒や1分で人の心をとらえるのは、
ぶっちゃけ技術より才能の分野だと思う。

3から5分は微妙。
才能は必要で技術もいる。
短距離走と中距離走みたいな。

経験則の話。


じゃあ2時間は?
とてつもなく技術がいる。

そして技術だけじゃ書けなくて、
それを下支えする才能もいる。
両方いる。情熱や根気もいるなー。


で、そもそも才能がない人は、
これをやることが出来ないので、
やめとけ、って思う。

技術をマスターすることは出来るかもしれないが、
それは空虚な宮殿しかつくれず、
仏つくって魂入れずになると思う。


僕がここの脚本論を書いているのは、
主に技術の話だ。
なぜなら、才能は人に教えられないからだ。

こうするといいよ、
こうするべきではない、
こう考えるとうまく行く、
こう考えてると失敗する、
などは全て技術論で、
比較的再現性があり、鍛えることが可能なものだ。

だからここを読み、実践して、
繰り返し勉強することで、
比較的技術は伸びると思う。

だけど、
・そもそも面白いアイデアを思いつく
・魅力的な人物をつくる
・あっと驚くものをつくる
・セリフが切れてる
・今来てるものを当てられる
などは、
才能に属することであって、
努力で身につくことじゃないと思う。

最初からそれが上手いやつはずっとうまいし、
下手な人はこれを努力で身につけることは難しいと思う。

もちろん僕の経験則なので、
例外が生まれうる可能性は否定しない。



だから、
まず短編を書け。

そこで才能が分る。
つまらないものしか書けないなら、
才能がないから、
そもそもやめておいたほうがいい。

プロデューサーなど、
前線で書かない人がいたら、
技術だけ学んでおくのはとても良いことだ。
才能と努力の境界線が分るからだ。

彼我の差を学ぶことで、
再現可能なことと、再現不可能なことを知るのは、
芸術と工学のはざまのジャンルを知るのにいいことだと思う。


で、短編だ。
勢いで思いついたアイデアを、
1分から3分くらいで書いてみ。

そんなのAIならすぐ書けるから、
それより面白くないと才能がないと思いなさい。

少なくとも同等である必要はある。
AIなら無言で量産できる。
きみはどうだい。

突出していない才能なら、
鍛える価値がないかもしれない。
少しだけ突出してるなら、
磨けば尖るかもしれない。

それと、技術を学ぶことは、
まったく別のものだ。
1分なら、技術が破綻していても、
なんとかなったりする。
不条理とか、オチがなくても成立するからね。

ところが3から5分を超えてくるものは、
技術が必要になってくるんだよね。

才能は主観で書けるが、
技術は客観で書く必要がある。
だから、短編以上を書きたいときは、
主観と客観を往復する力が必要になってくる。

これは誰も教えてくれないことだと思う。
だから書いた。


最初から長編が書けるのは才能だから、
どこまでも走っていくと良い。
でもほとんどの人は書けないので、
技術なら教えられる。
だけど、
「そもそも面白いものを書く」のは、
才能なので、
やっぱり才能がないと、
ベースに貯金がないのと同じになるね。


それがどれだけ眠っているのか、
誰にも分らない。
すぐ枯れる泉なのか、
無尽蔵に出てくるものなのかも、
やってみないと分らない。

だから書くしかない。
1分を沢山書いてみれば分る。
あなたは歴史に残る短編を1本だけ書いて死ぬ人かもしれない。
名作長編を100本連打できるかもしれない。
書いてみないと分らない。
すぐに枯れるかもしれないし、
不定期に湧くかもしれない。


才能と技術の必要な仕事だ。
技術はなんとか教えられるし、
再現性があるので、
ここでは教えられるし、
才能と技術のぎりぎりの境目まで、
僕は書いているつもりだ。

だけど才能そのものは教えられないよね。
配色センスや題材の選び方を、
絵画で教えられないのと同じだと思う。
法則はあるよ。
でも法則を破るのも才能だし、
法則破りと法則通りの使い分けも才能だ。



まあ書け。
白紙を前にして、妄想をはばたかせろ。
その軌跡が物語だ。
posted by おおおかとしひこ at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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