もともと脳内が蒸発する前に書き留めたい、
と始めた配列道。
漢直が定着するにつれて、
「蒸発する前に」という感覚が少し薄れてきた。
……手書きに近いから?
手書きの速度は僕は900だが、
これで蒸発に間に合わないようーって思うことは、
あんまりない。
にもかかわらず薙刀式で1500出しても、
蒸発に間に合ってない感覚になる事がある。
となると、
どう考えても、
「変換という行為が蒸発速度を速めてるのでは?」
という仮説が成り立つね。
で、「漢直だと蒸発速度に少し間に合ってる」
感覚がある。
まだ漢直の巡航速度を測ってないが、
1500とそんなに変わらないか、
結果的速度は遅くなったかもしれない。
だけど、手書きに近くなったからか、
蒸発速度がゆっくりになってる?気がするな。
人には集中力というものがある。
内容に集中してるときに、
他のことに気を取られるわけにはいかない。
特に僕は過集中の気があって、
書いてる時に周りの音が聞こえないことがよくあるんだよね。
だから受験勉強はうるさいところでもできた。
今でも静かな家とうるさいカフェ、
どちらでも仕事の効率は変わらないと思う。
昨日隣で座ってるスタートアップの2人の話が面白くて、
最初は盗み聞きしてたんだけど、
集中が始まったら彼らの話が聞こえなくなり、
彼らが帰ったことすら気づいてなかった。
あれ、そういえばあの話の続き、
と我に返ったら彼らは消えてた。
脳内発声がないことと関係するかもしれない。
周囲の雑音を、
ノイズキャンセルイヤホンがなくてもカットできる。
聴覚遮断みたいなことか。
目の見えない人が聴覚が発達するように、
聴覚遮断すると、
文章力や想像力が増すのだと思われる。
エンジニアの集中を乱すとよくない、
という話がある。
集中力というのは、
低速→中速→高速と徐々に加速が必要なので、
立ち上げに時間がかかる。
だから途中で話しかけたりチャットなどで返事をしなければならない、
となったら、
それが5分インターセプトしただけでも、
最初から集中しなければならないので、
2時間損失したことになる、
みたいな話だ。
集中力はおそらくそういう性質がある。
変換行為はだから途中で話しかけられるノイズだ。
集中が切られるのだ。
おそらく集中が続いている間は、
蒸発せずに保持されるのかもしれない。
(音韻ループは僕の中では自覚的に使われてないが、
あの棚にある、という空間感覚で保持されている可能性がある。
コンピに行って本屋に行って駅へ行く、
みたいなルート感覚での短期記憶保持としてだ)
しかし、途中で話しかけられると、
それが蒸発してしまうのかもしれない。
「候補はこれでいいですか?」「それや」「ちゃうわ!これや!」
とチャットしてしまうことで、
「……何しようとしてたんだっけ?」と、
集中を上げるのに2時間かかる、
ということになりかねない。
つまり、IME操作をする前提では、
僕は真の集中ができてない、
という仮説すらある。
10年タイピング道を研究し、
手書きの900を超えて薙刀式1500になったのに、
本気の原稿は、
未だに僕は手書きを譲ろうとしない。
真の集中をしたいからではないか、
という無意識を読み取ることができる。
周りの音が聞こえなくなるほどの集中は、
IMEに常時話かけられ、
必ずリアクションを求められる状態では、
得られていない、
と考えるのが妥当では?
で、蒸発速度でいえば、
IME操作がない方が、
遅くなるのでは、
という仮説がなりたつ。
よそ見運転しながらでは、
すぐに蒸発するということだ。
あるいは、よそ見運転しながらでは、
ブログ文程度までしかタイピングでは書けず、
本気原稿は無理ということになる。
ラクダエンさんがたまに、
書くのが面倒だからしゃべるYouTubeをやってるけど、
僕はタイピングするくらいなら手書きのほうがいい、
という感覚なんだよな。
左手を使うから、ノートを開く手間があるから、
電源確保、座る場所を選ぶ、
などの物理理由ももちろんある。
小説「てんぐ探偵」の第1話は、
日比谷線の中で紙に手書きで冒頭文だけ書いたら止まらなくなり、
電車の中で書きまくり、
東銀座の駅で降りて、そのままベンチに座って書ききった。
(フレックスでよかった)
PCではそんな真似は無理だろう。
物理の要素は大きいが、
脳内の事情で言えば、
「IMEの世話をしながら書くことは、
集中できないから」
という説がなりたつ。
PCで日本語が書ける、
となって以来、
30年以上IMEの世話をしながらタイピングしてきた。
だから、
IME操作をしないタイピングがあることすら、
ほとんどの人は体験していない。
ワンショット漢直は部分漢直で、
美味しいところ146漢字しか覚えなくてよくて、
それをやれれば3割の漢字変換をしなくて済む。
それだけで、IMEの世話がかなり楽になった。
子育てでいえば、
母乳をあげておしめを替える24時間体勢から、
夫に任せて自分の時間が取れる妻、
ぐらいになったといえるかな?
最初期は、たっぷり寝ることすら難しいっていうよね。
それが寝れるようになった、くらいかしら。
そうすると、その「自分の時間」は、
蒸発がゆっくりになってる気がする。
蒸発速度が一定ではなく、
あったりなかったりするぎくしゃくが、
思考に影響を与えてる可能性もあるが、
寝れないから寝れるになっただけ、
だいぶ楽になっている可能性が高い。
なぜなら、
「ワンショット漢直やめて、
薙刀式オンリーに戻るか?」と聞かれたら、
「面倒」って思うからだ。
「手書きのような集中力はタイピングでは得られない」
なぜこんな簡単なことに、
10年気づかなかったのだ。
俺はバカなのか。
タイピングでIMEを伴うのは当たり前の前提だったからか。
その無意識の前提の壁を3割崩したら、
集中力とか、子供の世話とか、
蒸発速度の違いとかの景色が、
見えてきたように思う。
ワンショット漢直で本気原稿を書く?
いや。
たぶん手書きを選ぶ。
だけど、タイピングは明らかに楽になってる。
あのランダム泣き赤ちゃんを、
10回に3回無視できる。
しかも「よく使う本質的な言葉」だから、
自分の意思を赤ちゃんに委ねなくてよくて、
見通しが立ちやすい。
ルートが見えている感覚があるね。
これを3割じゃなくて5割にするには、
急に漢字の数が増える。
150字ではすまなくて、
500字に拡張しなければならない。
だからたぶんやらない。
このへんが認知の限界な気がする。
残り7割はマシンに任せる棲み分けになりそうだ。
ワンショット漢直は、
つまり集中力の奪還だ。
やっとまともに考えられるぜ。
IMEを使ってる時は、
考えてなかったんだよ。
日本人は考えてない。だから落日なんじゃね?(極論)
(追記)
ためしに純粋薙刀式で打ってみた。
んー、いちいちIMEの世話すんのめんどくさい。
編み物を全目やらないといけない感覚。
いくつかはやらなくて済むはずなのに、
全部神経通さないといけないのかー、って感じ。
良い道具をマスターした時は、
前の道具を使ってみるといい。
こんな錆びた刀で前やってたの?……って驚くことうけあいだ。
薙刀式は最高のカナ配列のひとつだが、
最高のタイピング装置ではなかったのだと、
今はっきりわかる。
IME、集中の邪魔。
漢直だと一直線だから「待てる」のに対して、
IMEはマルチタスクになるからではないだろうか。
つまり、マルチタスク適性も、
あるかもしれない。
2026年07月10日
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ためしてはいます。
それを漢字にするか、ひらがなにするか、カタカナにするかの表現などは、
あとでチェックしないといけないので、
2度手間になって意味なかった記憶があります。
当然意図しない変換もあります。
また、どうやら「いま表示される文字が自分の意図と反するノイズ」
というのがあるみたいです。次記事に書く内容です。
だったら音声入力がいいのだろうけど、
僕は喋るのが苦手だから書く事を発達させたので、
そっちも手詰まりですね。