2026年07月10日

【薙刀式】言うのではなく書きたいんだろうなあ

脳内発声のある人にとって、
あるいは多くの人にとって、
言うことと書くことは同じように認識してるのかもしれない。
言うのを記録するのが書くこと、くらいに。

僕にとっては全然違うものなんだよなー、
というのが先のsさんのコメントから理解できた。


僕の脳内ではデフォルトで音がなく、
思考も書く時も音はない。
僕の中の言葉はまず音ではなく、
色や形や触覚として存在している。

それを指を通して外に出すのが書くこと。

言うことはそれと乖離していて、
その概念を、それに紐付いた音に変換しなければならない。

もちろんノータイムで音はあるのだが、
おそらくなにかしらの障壁が僕には感じられる。

言うより書く方が楽なんよな僕にとっては。


読むのと聞くのだと、圧倒的に聞く方がダメ。
人の話を聞いてない説ある。
なんでかと思うと、
同音異義語変換が面倒だからだろう。
文字なら一意に決まってるものを、
前後から復元するのにある程度コストがかかってるのだと思われる。

(そのかわり、表情やニュアンスで補助がある。
逆に言うと、その読み取りコストと同音異義変換コストの、
両方がかかってるともいえる)


僕にとって言うことは、
言いっぱなしで消える前提の話だ。

だが書くことは異なる。
一文字一文字考えた軌跡のような形をしている。
だからそれが揺らぐことは、
僕の中の最初に外から出たものと違うときに、
とてもイライラするわけだ。

言うのは消えるから、多少間違ってもいい。

書くのは消えないことなので、
一字一句脳と同期したい。




というわけで、
ひらがなだけ書いてあとでAIに変換させるのは、
僕にとって書くことではない。
言うのと同じことだなあ。

僕にとって書くこととは、
脳の中の概念を日本語表記したものだ。
ひらがなで書きたいのに漢字になってたり、
その逆だったり、
誤変換が放置されることは、
書くことではないのだろう。


細かいこと言うなよ、という感じがする。
言う時は僕も適当な事が多いね。
でも書く時は細かいね。
彫刻刀で彫ってるようなものだからね。


……という僕の性質が、
「タイピングで書くこと」ができるのか?
というのが、
この10年の戦いのほんとうの意味だったように思う。

「みんなタイピングで書いてるから」
というのを鵜呑みにして、
10年間違うと言い続けてきたな。笑
それは、普通の人と俺がずいぶん違う事を、
「書く」と言ってるぞ、
と明らかにする行為でもあった。


というわけで、
「ひらがなでかいて、あとでAIに一括変換させれば?」
というのは、
何重にも僕にとって暴論なんですわ。
説明終わり。


今のところの見積もりでは、
「タイピングは手書きに勝ててない」だな。
だから手書きでやってるのだし。
自作キーボード大好き!ではない。
ギリギリの手段をつくっている。


ここで書いてることは、
「暗いと不平をいうよりも、進んで灯りをつけましょう」
をやってるにすぎない。

利用できるところだけ利用すれば良いと思う。
薙刀式はいいものだし、
オールコンベックスはいいものだし、
ワンショット漢直もだいぶよさげだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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