ストーリーにおいて、テーマはそのまま口で語るべきではない。
あくまで間接話法であるべきだ。
同様に、アンチテーゼや途中のディベートも、
すべて間接話法であることが望ましい。
つまり、テーマとアンチテーゼを、
Aだ、Bだ、とののしりあうのは、
全然面白くない。
なぜなら、
人はディベートそのものに興味がないからだ。
「○○は○○か?」
というのが興味のあるテーマならば、
それに食いつくかもしれないが、
興味がないものはあまり見ようとしない。
そして、
映画とは、「これは○○は○○か?を議論するものです」
という見せ方をするものではない。
あくまで問題とその解決を見せるものである。
だからそこに「○○は○○か?」とか、
「○○対○○という価値観の対決」
を期待して見に来るものではない。
ところが、
物語の主軸、エンジンというものは、
コンフリクトという「対決」であった。
人と人が争い、対決するからには、
価値観の違いがある方が面白い。
とくに「やっつけろ!」という敵は、
悪い方がいい。
主人公の戦いや勝利に酔えるからだ。
敵がいいやつではなく、悪役である、
というのは、この構造を利用しているわけだ。
で、あるものが面白く見えるには、
それらがコントラストをつくった方がよい。
グレー対グレーよりも、
まっ白対まっ黒の方が、
面白く見えるわけだ。
60%グレー対40%グレーを見てもあまり面白くない。
純粋な100%白と、純粋な0%の真っ黒が戦う方が分りやすく面白いわけだ。
ということは、
コンフリクトする両者は、
主義主張が、真反対である方が面白くなる。
だから、テーゼ対アンチテーゼになると、
話が面白くなるわけだ。
単に誰々対誰々になるよりも、
「この争いは、
○○○という主張と、○○○という主張の、
代理戦争である」
という風になるから、
話は面白くなるわけだ。
で、結論だけではなくて、
途中でディベートになると面白い。
Aという主張に対して、反論Bがあり、
それに対する再反論A2があり、
再反論B2があり……
という風になると、シーソーが動いて面白いわけだ。
そして、これらは、
テーマを語ることが、
代理戦争という間接話法であるように、
ディベート自体が間接話法であるほうが望ましい。
「○○は○○なのだ!」
「いや、○○は○○なのだ!」
なんて罵り合っているストーリーなんて全然面白くない。
そんなのわざわざ言わなくても、
これはあれへの反論になっているぞ、
という風に無言で展開する方が、
ぞくぞくするというものだ。
だから、京都人の方が間接話法でストーリーを書くのがうまいかもしれない。笑
ただ京都人のだと、
あまりにも分りにくいので、
観客が気づかない可能性が高いかもね。笑
今でこそ「ぶぶづけ食べはります?」は、
「帰れ」ということだと分ったようなものだが、
その文化が共有されていなかったら、
「親切な人だなあ」と思うだけになってしまうからね。
というわけで、
結論へ向けての、
ディベートになることが望ましい。
そしてそれは、
勝ったり負けたりする、シーソーゲームが望ましい。
そして出来れば、
一発大逆転するのが、
気持ちいい。
そして最大に重要なのは、
直接話法ではなく間接話法で語られることだ。
こんな感じで、
アップダウンに重ねて、
主張や思想のディベートに間接的になっているのが、一番いいと思うな。
下手にディベートを意識すると、
単に主張を叫びあうだけの、
自己批判せよみたいな新劇になってしまう。
ただし、
京都人みたいに、何も言わないでディベートになると分りにくいので、
時々この人たちは、
どういう価値観でコンフリクトしているのだろう?
ということを示した方が、
忘れずに集中出来るかもしれないね。
ストーリーは基本的には勝ち負けだ。
勝ちの価値とはなにか?
途中の勝ち負けでは何が問われているのか?
を見ると、
間接的なディベートになっているのが、
理想だと思う。
2026年08月04日
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