なんで「かぶれ」と思ったか、
表面だけ舐めて本質を掬い取ってないと思ったか。
食事のことかな。
意図的なのだろうとは思うが、
彼女たちの食事が全部適当だ。
施設に来たときの夜食のパンとジャムみたいなのと、
「スープ」といってたけど何スープかわからないもの
(しかもナースコールで中断)、
あとコーヒー、
それから京都でのビールとカップヌードル。
あとは施設での一夜のあと、
レストランで食事を、
となったときに倒れておあずけ。
マリ=ルーは眠れてない女、
真理は癌で余命いくばくもない女。
2人に生の気配がないことを、
飯で表現している可能性はあるけれど、
それではそんな期間は持たないと思う。
マリ=ルーは背中がなんかおばちゃんで、
中年太りしている。
彼女が真理みたいに痩せてたら、
飯は適当でもいいが、あの人絶対間食くってるでしょ。
長塚京三と孫は何を食ってるのか、
フランスの普通のご飯ってどんなのだろ、
みたいな、
地に足のついたフランスの何かを見たかった。
宮崎駿ならまずしいパンでも、
挟んだハムが落ちそうになるのを器用に口だけで食うとか、
目玉焼きをすするように食うとか、
そんな飯を表現するはず。
服がきれいなのはスタイリストが用意してるからだが、
生活感がなさすぎるのも気になった。
メイクもちゃんとしてるんだよな。
もっと生々しいはずだよ。
きっと臭いだろうし。
その生々しさを全部省いたのかもしれないが、
そこが記号的になりすぎて、
生と死を扱うには、
生々しさをカットしすぎてると感じた。
痛みをベッドで我慢してる時、
脂汗がひとすじ垂れるけど、
生の生々しさってそんくらいだったのでは。
鳩が部屋に入ってきたとき、
羽毛がバラバラと弾けてたのは生の象徴的で、
その羽毛が彼女の肌に張りついてもよかったのにね。
フランスっぽい?
夜のセーヌ川のほとりでのダンスも、
へんなおじさんと電話の時間つぶしにしたくらいしかない。
そういえば2人は酒を飲んでない。
地元の人はワインに氷を入れて飲む、
という荒業を聞いたことがあるけど、
そういう地に足のついた食べ物や飲み物が、
3時間もあってなんでなかったんだ?
老人たちの食事もなかったね。
介護としては大変そうだが彼らには喜びのシーンに、
なりそうなものだがなあ。
裸足で芝を踏むこと、マッサージ、
などの記号でしかないんよな。
裸足のまま施設を徘徊するくらいあってもよかった。
老人たちがあまり言葉を発しないのも気になった。
どこか幽霊のようだった。
ざっくりいうと、
芝生に足はついていたものの、
地に足がついてる感じがしなかったんだよね。
あー、ぜんぶCMの絵みたいなんだ。
ただ絵を描いてるだけで、
地に足がついてる絵の描き方じゃない。
フランスならではのA定食を、
2人が食べるだけで違ったと思うんだよな。
僕だったらクライマックスの演劇のシーン、
みんなでサンドイッチをつくるイベントをやって、
屋外でランチしながらにすると思う。
ワインが一杯だけ出るとしてね。
生と死を描くってそういうことなんじゃないの。
知らんけど。
「ドライブマイカー」でも思ったけれど、
言葉、とくに演劇の言葉が、
とても意味があるとこの監督は思っている感覚がある。
フランス語みたいな美しい言語に触れればそう思うかもしれないが、
僕は関西人なので、
言葉など消費する為のものにすぎないと思っている。
言葉など、セッションする為の音鳴らしだと。
2人で黙ってうどん食った方がええんちゃう、
とか思ってしまうね。
言葉が表現するものは考え方そのものであり、
言葉に力があるのではなくて、
考え方に力があるものだと思う。
この人は、言葉に力があると感じてるような気がした。
その、「世界に生きてる感じ」がしないのが、
この人の世界観といってしまえばそれまでだが、
だから「かぶれ」とか嘘に感じてしまうね。
カンヌで賞を取ったのは、
あくまで主演女優賞だ。
脚本賞でも作品賞でも監督賞でもない。
2人の役者はいい芝居をしたが、
それを見つめるカメラ側が、
ずっとにわかやかぶれを感じたなあ。
(追記)
どうもフランス語はちょっと何言ってるかわからない。
というか、フランス語を引用する日本人が、
ちょっと何言ってるかいつとわからない。
https://web.sekaishisosha.jp/posts/9671
こんな感じ。
唯一分かったのは、
資本主義のピラミッドの話は原作にはない創作だってこと。
あのシーン丸ごといらないけど、
原作にあるならしょうがねえか、
と思ってたところだ。
美術館のスロープから階段を降りて、
長い長回しで語られたあの会話、
全部なくて成立したと思う。
鳩がうんこ落としたところに飛ばしても全然OK。
2026年07月12日
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