なぜなら、
物語というのは、「どんどん面白くなる」が期待されているから。
あなたは物語を書く。
あなたの筆力が一定ならば、
一定の面白さが紡がれ続ける。
それはいいことかな?
観客にとって、
物語は「どんどんおもしろくなる」だ。
序盤より中盤が、前半より後半が、
これまでよりもクライマックスが、
一番面白くなるはずだ。
だからもしあなたの筆が、
一定の面白さしか書けないのなら、
観客にとっては、
「期待に反してどんどんつまらなくなっていった」
ように感じるというわけだ。
錯覚だね。
観客の期待は上り坂だ。
うなぎのぼりだ。
それに対してフラットを提供すると、
下り坂に見えるわけだ。
これはシリーズものでも同じだ。
もしターミネーター2が、
ターミネーター1と同じくらいの面白さだったら、
映画史に残る出来にはならなかったろう。
ターミネーター2は1より何倍か面白かったから、
うなぎのぼりに楽しかったわけ。
そして、ターミネーター3は、
2と同程度?かそれより面白くなかったので、
シリーズは終わったわけだ。
うなぎのぼりにならなければならない。
前作を超えない次作などない。
いっぱいあるけど笑、それらは無視される。
前作越えのものだけが、
世界に存在する事を認められる。
クライマックスから逆算しよう。
それを100としよう。
5くらいではじめよう。
だけど5じゃ掴みきれない?
誰も振り向いてくれない?
じゃあ、5で掴める何かを提供するのだよ。
初めからいきなり世界一の美女で掴んでしまったら、
あとでみんなブスに見えてしまう。
掴みとは100で殴ることではない。
5でオッと思わせるなにかだ。
掴みが難しいのは実はここで、
30とか50で掴んじゃいけないんだよ。
狙って、5や10で掴む必要があるわけさ。
そしたら、どんどん面白くしていけるよ。
100から始めたらあとは下り坂。
5から始めて100へ持っていけ。
そのうなぎのぼりが物語だ。
とくに映画は一気に見るものだから、
そのリズムと緊迫を計算しなければならないのだ。
急落する下り坂を体験するためには、
実写「ガッチャマン」がいいぞ。
あんなクソ下り坂、FUJIYAMA以上にすごいぜ。
2026年08月07日
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あくまで仮説ですが示唆的なのでこうあってほしいと思ってしまいます。
あるいは社会はそうだから自然もこうであってほしいという願いなのでしょうか。
赤の女王仮説は初めて知りましたが、
「他の個体との競走において」
という条件がつきそうです。
物語においては、自分と物語という関係性なので、
「他の物語とくらべてエスカレーションを好む」
ということでもないのかもしれないです。
ただし、我々の中に本能的にエスカレーションを好む性質があるから、
他との競争においてもエスカレーションが進む、
ように考えることもできる、くらいかしら。
その根本は何かと考えると、
「同じ刺激だと人は飽きる」ってことかな。
セックスはどんどんテンポがあがるべき、
という本能があるような気がする。