ディットさん:
> 私見だけど、文章を書くという行為は「初稿」と「初稿以降」で性格が全く異なっていて、「伝わるように整理すること」の役目は後者が担うものと思っています。
初稿に求められるのは、自分の内面と向き合い、むき出しの言葉をいかに引き出せるか。
> ロゴス配列の設計思想は、認知的・身体的負荷を小さくすることで、内から湧き上がる言葉と運動との距離をなるべく近づけるというものです。
なので指向としては「初稿を書きやすくすること」、言い換えれば「自分と向き合うこと」なのかなと考えています。
えーっと、
プロはその段階はすでにクリアした状態から、
「書く」を始めています。
「自分の気持ちや思いに対して適切な語をあたえ、
正直に書く」は、
プロなら中学生ぐらいでクリアしてます。
そこから、
「どう書けば最も伝わるか」を、
考える事が書くことなんですよ。
つまり、方便として嘘を使うことも、
この中には含まれます。
自分の真実を語るために嘘を使う。
このことを、フィクションと申します。
もちろん、自分の真実を語らないことも、
フィクションではあります。
つまり、ディットさんのいう「初稿」は、
中国拳法が4000年前に通過してる場所で、
それをクリアできてないと、
スタート地点に立ててないことになるんですね。
そこで苦労してたらプロじゃない。
プロはリフティング100回くらい当たり前で、
思う事に肉薄できないやつはいないです。
なので、
それは前提として、
「どの角度から見たらそれが伝わるか?」
を色々と考える事が構想であり、
それを1個1個論理として積んでいくのが執筆であり、
最後まで出来たときに、
目論見通り機能してるのか、
別の角度はありえるのか、を考える事が推敲です。
これは、あくまでプロレベルの話です。
全員に要求するレベルではないです。
「qwertyローマ字では自分の思いが表現できない!
だからロゴス配列ならできる!
薙刀式も可!」
でもいいと思います。
ただ「初稿」という一応プロで使われる言葉があったので、
俺の初稿はちがうが?
という話をしてみました。
単に「書き始めてから最後まで書いたもの」と、
プロの初稿はちがうよ、
という話でした。
具体がないと話がわかりづらくなると思ったので、
三島由紀夫がわずか9歳のときに書いた作文を持ってきました。
どう考えても自分の思いをそのまま書いたのではなく、
読者の心をコントロールしようとする意図(技術)を感じますね。
三島由紀夫9歳の文「大内先生を想ふ」
ヂリヂリとベルがなつた。今度は図画の時間だ。しかし今日の大内先生のお顔が元気がなくて青い。
どうなさッたのか?
とみんなは心配してゐた。おこゑも低い。僕は、変だ変だと思つてゐた。その次の図画の時間は大内先生はお休みになつた。御病気だといふことだ。ぼくは早くお治りになればいゝと思つた。
まつてゐた、たのしい夏休みがきた。けれどそれは之までの中で一番悲しい夏休みであつた。
七月二十六日お母さまは僕に黒わくのついたはがきを見せて下さつた。それには大内先生のお亡くなりになつた事が書いてあつた。むねをつかれる思ひで午後三時御焼香にいつた。さうごんな香りがする。そして正面には大内先生のがくがあり、それに黒いリボンがかけてあつた。
あゝ大内先生はもう此の世に亡いのだ。
僕のむねをそれはそれは大きな考へることのできない大きな悲しみがついてゐるやうに思はれた。
音、色、形、間、対比や逆転などが上手。ッの使い方が池上遼一並み。
ラストの一文「それはそれは」と繰り返すのもテクい。
あきらかに、
「自分の思いを増幅しておもしろくしたろ!」
という感覚を感じます。
これが書くこと、と僕は考えます。
「大内先生調子悪そうと思ってたら死んだわ。かなしい」
ぐらいをこうやって構成して名文にするのは、
ある程度構成ができた初稿がないと、
しんどいと思いますね。
たとえばラストの文は、
最初は「僕のむねを大きな悲しみがついてゐるやうに思はれた。 」
ぐらいだった
(胸が突かれる、を悲しみを主語にしたらテクくね?
みたいなのがすでにある)のを、
「もっと強くしたろ! ラストはそれぐらいで効くやろ!」
と思って書き直したかもしれませんね。
この辺のツギハギが見えるのが9歳って感じ?
後世、もっとテクくなったのでしょう。
(後好きなのは横浜に船を見に行ったやつなんだけど、
ちょっと見つけられませんでした)
2026年07月21日
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