2026年07月22日

【薙刀式】何が先行するか

カベウチドリさん:
> 余談だけど僕は音声優位すぎて、「言葉より先に音のニュアンスが浮かぶ」があります

へー。
僕が「今ここに黄色が欲しい」と、
言葉以前の色のイメージで考えるのと似ている。


音のニュアンスは僕はよくわからないが、
きっと、もわっとしてるとか、するどいとか、
高いとか低いとか、
ずーっと続く感じとか、ブツブツ切れてる感じとか、
そんなものだと思われる。

色のイメージも、
レモンイエローみたいな特定の色から、
黄色、黄緑、オレンジあたり、みたいな範囲とか、
暖色じゃなくて寒色よなーみたいなやつとか、
無彩色かなとか、深いとか浅いとか、
尖った色がいいなとか、
色んなイメージが湧くね。

ついでに触覚もあるので、
ザラザラとかふわふわとか、
量感があるとか、鳥肌が立つようなとか、
刃の上を歩くようなとか、
いろんな感覚としても出てくる。


ほかにも、「右上のへんに右手を置くと出てくる言葉」
みたいな方向感覚だけで手が勝手に動いて、
「あ、俺は今『べきである』と打とうとしたな」
とあとで理解が追いつくこともある。

これが「棚に言葉が置いてある感覚」だ。

「なんか左手を真ん中から下に動かす感じ」
とかで「とはいえ」を導き出すとかね。
つまり、「あのへん」に先に指が動いて、
えーっとこのへんに……あ、あったあったと、
言葉がにゅるっと出てくるわけだ。


音そのものではなく、
「こんな感じの音」だと僕が脳内発声もなく推理したのは、
すでに僕が、色や触覚、方向感覚で、
「まだ言葉になってない言葉」を、
捉えているからだ。


このうち、音や色や触覚は、
「自分の内部の感覚」だと思うけれど、
方向感覚、棚の感覚は、
「すでに言葉感覚が外在化している」
ことだと思う。
つまり自我がそちら側まではみ出していて、
それはすなわち、
「道具のほうまで神経が通った感覚」
=身体拡張ができてるってこと。

以前も書いたけど、
ペンを持って書いてる時に、
そのペンを叩いたり落としたら「いてっ」て言うと思うのは、
ペンまで自我が拡張していて、
痛覚まで通ってるからよね。

そんな感じで、
「キーボードのこの辺にこれがある」
みたいな感覚が通るまで、
身体拡張が出来ているんだと思われる。

もちろんキーボード叩いたらイテッて思うなあ。

だからPCにつないで通電してるときのホットスワップは、
リアルタイム手術っぽく感じるね。
通電してないときは単なる部品取り替えだけど。


プライマリー感覚とかいうんだっけ。
言語そのものに先立つ感覚。
言葉がその意味や言葉そのもの(シニフィアンとシニフィエ)
だけでなく、
脳内の別の感覚や記憶や連想などと、
結びついてる証拠だと思う。

それが、現実感覚だけでなく、
「キーボード空間での感覚」にもつながってるぞ、
というところに僕は来ている。

言葉の棚の真ん中にいて、
どこに手を伸ばせば何が出てくるかわかっている、
全知全能者みたいな感覚だ。


逆に、配列というのはこうなるべきでは?
と僕は思うね。
習熟したら全員どの配列でもそうなるのかな?
人、配列、相性によって変動するだろうか?

薙刀式がその感覚が強そうなのだとすると、
片手アルペジオで取れる基礎語が多いからかしら。
左右交互だとこういう感覚が起こりにくいんだよな。


脳内発声がないことと関係してるかな。
いや、脳内発声があったとしても、
「左上から出る音っぽい」
「左上から出る音から始まる言葉っぽい」
みたいな空間感覚-音感覚になるかもしれない。

そうすると、そろばんが頭の中でできるみたいに、
音がなくても空間感覚だけで打てるようになるかもね。


僕はおそらく、
言葉の記憶装置のしての空間全体を、
その配列だと思ってるフシがある。

料理人における台所の配置とか、
画家にとってのパレットの色配置とかに、
似てるのだと思われる。

言語の空間化?

だから僕にとっていい配列とは、
言葉の棚が整理されてて、
取り出しやすい配置になってるものだ。
その配置の好みは、人によって異なるかもだが。
posted by おおおかとしひこ at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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