2026年07月30日

【薙刀式】僕がタイピングゲームが嫌いな理由

他人の文体に、自分を汚染されたくないから、かな。


僕の、
これまでの人生で編み出してきた文体には、
たぶん一定の特徴がある。

色々な文体で書きはするものの、
なんとなく大岡っぽい、
というのはありそうだ。

なんなら俺の文体をAIに学習させて、
大岡っぽい文章を書かせることすら可能かもね。


少なくとも僕が本気で書いた文章のことは覚えていて、
それが改竄されてたら、
僕は気づくと思う。

内容ではなく味みたいなもので、
味が変わったら気づく、みたいになると思う。
俺はこうは書かないやろ、みたいな。


だから、自分の文章が勝手に変えられてたら、
自分の部屋のものが勝手に移動させられてる、
みたいな不快感を持つし、
気が狂うぐらい怒るかもしれない。


なのに、
なぜ自分の味でないものを書かなければならないのか?
その必要はなんのためにあるのか?
それをどれだけやればいいのか?

それがクリアにならない限り、
僕は他人の文章を書き写すことはないと思う。



仮に、
「○○という作家の文体を真似るため、
学習してより偉大になるため」なら、
理由は明確なので、
真似できるまで書き写すと思う。

もちろん、文体や言葉の選び方やテンポ感、
口癖などの表面的なミクロなものだけでなく、
文章の組み立て方、構成、構成のテンポ、
伏線と解消の癖、ものの見方、人生観などの、
マクロ部分も真似できるようにするだろう。

それはそれをやると決めたらやる。

でもそれ以外に、なんで他の人の文を写す必要が?
研究目的以外なんか理由あるかな?



今指のトレーニングをしているのであり、
文章のトレーニングをしているのではない、
と割り切るとしよう。

それは筋トレのようなものだ。
ある程度筋肉が動ければ強くなる。
でも所詮はある程度だ。
筋トレ95%、技5%しか練習してない武術家は、
武術家ではなく筋肉バカという。

文章の筋肉がすごい人はいるのかな?
たとえばボキャブラリーが異常にあるとか、
うんちくを知ってるとかかな。
それはすごいけど、文章力とは関係ないよね。
なんなら知識を誇示するつまらない文になる人もいる。


タイパーはすごいけど、
ジムに通って身体を鍛えた人と同じかもね。
すごいけど、
それと真の強さは関係ないよねと。
必要条件でも十分条件でも、
必要十分条件でもない。

タイパーであり、かつ良質な文を大量生産してる人は、
今のところいない。
出てくればもう少し因果関係がわかるかもだ。



筋トレと割り切るとしても、
どれくらいのメニューをどれだけこなして、
どれくらいまでになればいいのか?
という具体を示せる人などいまい。

10万字小説を書くなら、
タイプウェルSDは欲しいとか、
文章力とタイピングゲームの相関グラフが欲しいぐらいよね。
もちろん、経験則でもいいけど。

それを示せるなら、タイピングゲームと文章力の関係について、
論ずる基盤ができるかもだ。


僕は直感的には無理だと考える。
「自分の文章をどれだけ書いたか」でしか、
文章力は上がらない。(経験則)

その基盤を作らないものは、
すべて自分への汚染だと思うので、
タイピングゲームは二度とやらない。

(ATCはお祭りとして割り切ってるだけだね)
posted by おおおかとしひこ at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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