2026年07月31日

【薙刀式】数値化して練習したいなら

タイピングゲームは創作家にとって害まであると思う。
なぜなら文体が汚染されるからだ。

タイピングゲームがなぜいいかというと、
成績が数値化されるため、
練習の目安になるからである。

じゃあ、別の数値化できる練習法がいいと思う。
僕は、「○○字(変換後)/10分」
で数値化すればいいんじゃね?という提案をする。


そもそも他人の文章を写すのは自分の文体が守れない。
ランダムワードの練習なぞ最悪だ。

文章というのは次に来る文は一意に決まる情報量のコントロールであり、
エントロピー最大のランダムを練習するのは、
最悪手まである。
あることばが来たら、連想ゲームのように、
次に何が来るかを想像することが、
文章を書く訓練になるからだ。

また、タイピングゲームの例題はたいてい名文ではない。
それを真似していたら文のレベルが下がってしまう。

頭のレベルは下がらないかもしれないが、
手癖の話をしている。
手癖をつけることが練習なのだから、
たいして良くもない手癖しかつかないわけだ。
だったら、
最初から最高の手癖をつける練習をするべきじゃないか?

最高かどうかの議論はおいといて、
そもそも自分の文章を練習しないで、
創作家とは言えまない。
ということは、ひたすら自分の文章を書くのが、
もっとも合理的な練習である。
寄り道している場合ではない。


というわけで、
あなたは自分の文章をひたすらその配列で練習すればいいだけだ。


数値化しないと目標が立たず、
タイピングゲームのような成長感覚が得られないというならば、
最低10分以上書いて、
文字数と時間を測ればよろしい。

文字数はそのへんのエディタならば、
選択して測定することが出来るだろう。
時間は書き始めた時刻をメモっておけばよく、
書き終えた時の時刻もメモればよい。

これを1回だけでなく、
複数回やるだけでいい。
考える時間が多い文章や、少ない文章もあるだろう。
話題によっては行ったり来たりするだろう。
それでも数を集める、たとえば100以上集めれば、
成長の傾向は分ってくる。

この期間からこの期間は500くらいだったが、
最近700くらいになってきたな、とかだ。
有効数字は上1桁くらいでいいんじゃないかしら。
540と500は大差ないと考えれば、
あまりスピードを気にせずに書けると思う。
まずリラックスすることが大事だからね。


というわけで、何かしらのファイルをつくり、
そこに文字数と時間を記録していく。
エクセルなら関数で割り算をつくれるが、
計算機で手計算してもそんなに手間は変わらないと思うよ。

これを毎日、一か月程度続ければ、
成長を実感できると思う。

タイピングゲームをやって一喜一憂するのも面白いが、
そもそもあなたはタイピングゲームをやるために生まれてきたわけではない。
創作をやるために生まれてきた人間のすることではない。


なので、
自分の文章で、ひたすら計測することが、
一番寄り道をしなくて、合理的に練習する方法だ。

タイピングゲームの功罪は、
僕はどうでもいい。
タイピングゲーム好きの間でやればいいよ。
その汚染から文筆家が身を守る方法のほうが、
よっぽど大事だね。


自分の文章を書こう。
そのときにqwertyローマ字は合理的ではない。
もちろんJISカナもだ。
そう思う人は配列を変えよう。
キーボードを変えよう。
一番いい万年筆を探すのと同じだ。

qwertyローマ字は、
長文で日本語を書くための構造をしていない。
だからその構造をしている道具を選ぶべきだ。

薙刀式はそのひとつの選択肢であり、
練習の仕方はすでにマニュアルに示してある。

一般的な新配列の練習の、初期はタイピングゲームは有効で、
楽しみやくやしさを味わうエンターテイメントとしては手軽だが、
それはゲームであり本道ではない。
本道にさっさと戻って、
自分の文章で数値化していくのが、
練習として近道だと思う。

学問に王道なしなので、
王道が一番近道だね。

単に、あなたが毎日書き、
毎日測定すればいいだけのことだ。
posted by おおおかとしひこ at 10:26| Comment(4) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
タイピングゲームごときで文体が汚染されるような創作家なら、創作家向いてないと思います。
Posted by syn at 2026年07月31日 11:31
>synさん

汚染されるほど敏感な創作家もいると思います。
向いてなくても創作家を続けたい人もいます。
自分で決めることですね。
Posted by おおおかとしひこ at 2026年07月31日 12:19
脚本や小説を書かれるなら、いろんな文体のキャラクターが登場しうると思いますが、そんな簡単にご自身の文体が影響を受けるとしたら、とても仕事にはならないかと思います。ある種の多重人格を自らの中に降臨させ、ストーリーを描いていくものであるなら、人の気持ちを理解する力や、他の文体やキャラクターに対する解像度の高さは、その作品自体のリアリティを高めるための重要な要素になると思います。それがタイピングゲームによって文体が汚染されるという話になってくると、そもそも単一的な視点でしかものを書いていないのか?という話になってくる気がします。自身の書ける文体に箱は一つしかないのかと。キャラクターの多様性や自らの文体を自らの中に保存する能力も必要なのではないでしょうか?
Posted by syn at 2026年07月31日 12:58
>synさん

はい。その100の文体を維持するのに、
他人の言葉はノイズですね。

自分から出ていく言葉と、
他人の言葉を自分に入れてまた出すのは、
まったく別の所の棚なので、
それがごちゃるのは自分の感覚を崩すことになります。
Posted by おおおかとしひこ at 2026年07月31日 13:10
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック