2026年08月01日

【薙刀式】なぜ簡単な言葉からやらないのか

Twitterから。
また間違った練習法を見た。

> 大西配列始めましたこの文は大西配列で入力されています。

きみは赤ちゃんだった時の記憶がないのか?
あるいは、赤ん坊がどうやって言語を獲得するのか知らないのか?
あるいは、外国語はどうやって習得した?

なるべく簡単な言葉からやったはずだ。
だからこのツイートは間違っている。

「おおにし! ちんちん!」とツイートするべきだ。


恥を正しくかけない大人は、
大人ではない。
格好をつけている子供のレベルだ。

正しい知性とは、
正しく初心者になることだ。

正しい入口から入って、
正しく階段を登ればいいのだ。

初心者になるのに初心者すぎる。
下手な初心者なのだ。


いまから言語を学ぶのだから、
大学生のような抽象議論や、
実践的な文章をいきなりいう人はいない。

まず「ちんちん」からだ。
もちろん「おっぱい」でも「まんま」でもいいぞ。

「わたし」と「あなた」という自他の概念すら、
だいぶ成長しなければ獲得できないぞ。
赤ちゃんは自我が母と分離してないからな。

言語はここからやってくる。
そのうち分化するだけだ。

大西配列でまず「ちんちん」と打たないのは、
言語習得がへたくそなのだ。
もっと正しく初心者にならなければならない。

役者として「あめんぼあかいなあいうえお」が恥ずかしいなら、
向いてないのだ。
初心者が誰でも通る道を通って、
はじめて全体が見える。


赤ちゃんの言葉で語れ。
子供の言葉で語れ。
中学生の言葉で語れ。
ハイティーンの言葉で語れ。
大人の言葉で語れ。

順番に言葉を獲得せよ。

言葉とは、発する事が簡単なものほど本質的だ。
合理的な配列ならばそうなっている。
本質から学ばないのは、
学習者としてへたくそだ。


> 大西配列始めましたこの文は大西配列で入力されています。

この文を書くのに、いきなりなら30分以上かかる。
そんな拷問を受ける必要はない。
言葉は拷問ではない。
言葉は快楽である。
拷問を受けたから言葉が生まれたのではない。
快楽だから言葉が生まれたのだ。

我々は拷問を受けるから文章を書くのではない。
快楽だから文章を書くのだ。

というわけで、
おおにし!ちんちん!
と最初に書き込むのは、
本質的な第一歩だ。
言語とは何か。人間とは何か。文章とは何か。
そこまで降り立ったうえでの、
もっとも大事なもの(のひとつ)の結果である。

Twitterの規約に引っかかって凍結されるかもしれないので、
そこはうまいことやってくれ。



薙刀式は、ある、ない、する、
という三大概念をまずやる。
これは本質的だが、もっと原始的であるべきかもしれない。
ということで、
なぎなた!ちんちん!
と最初に書くべきだ。


はじめにことばありき。
そのことばとはなんであったか?

「先方の意向により、リスケが必要になって、
そこは忖度して譲ったふりをしなければ」
などということではない。

世界の中心にはなんと書いてあるか?
神か?法か?
ぼくは、ちんちんだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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