Twitterから。
また間違った練習法を見た。
> 大西配列始めましたこの文は大西配列で入力されています。
きみは赤ちゃんだった時の記憶がないのか?
あるいは、赤ん坊がどうやって言語を獲得するのか知らないのか?
あるいは、外国語はどうやって習得した?
なるべく簡単な言葉からやったはずだ。
だからこのツイートは間違っている。
「おおにし! ちんちん!」とツイートするべきだ。
恥を正しくかけない大人は、
大人ではない。
格好をつけている子供のレベルだ。
正しい知性とは、
正しく初心者になることだ。
正しい入口から入って、
正しく階段を登ればいいのだ。
初心者になるのに初心者すぎる。
下手な初心者なのだ。
いまから言語を学ぶのだから、
大学生のような抽象議論や、
実践的な文章をいきなりいう人はいない。
まず「ちんちん」からだ。
もちろん「おっぱい」でも「まんま」でもいいぞ。
「わたし」と「あなた」という自他の概念すら、
だいぶ成長しなければ獲得できないぞ。
赤ちゃんは自我が母と分離してないからな。
言語はここからやってくる。
そのうち分化するだけだ。
大西配列でまず「ちんちん」と打たないのは、
言語習得がへたくそなのだ。
もっと正しく初心者にならなければならない。
役者として「あめんぼあかいなあいうえお」が恥ずかしいなら、
向いてないのだ。
初心者が誰でも通る道を通って、
はじめて全体が見える。
赤ちゃんの言葉で語れ。
子供の言葉で語れ。
中学生の言葉で語れ。
ハイティーンの言葉で語れ。
大人の言葉で語れ。
順番に言葉を獲得せよ。
言葉とは、発する事が簡単なものほど本質的だ。
合理的な配列ならばそうなっている。
本質から学ばないのは、
学習者としてへたくそだ。
> 大西配列始めましたこの文は大西配列で入力されています。
この文を書くのに、いきなりなら30分以上かかる。
そんな拷問を受ける必要はない。
言葉は拷問ではない。
言葉は快楽である。
拷問を受けたから言葉が生まれたのではない。
快楽だから言葉が生まれたのだ。
我々は拷問を受けるから文章を書くのではない。
快楽だから文章を書くのだ。
というわけで、
おおにし!ちんちん!
と最初に書き込むのは、
本質的な第一歩だ。
言語とは何か。人間とは何か。文章とは何か。
そこまで降り立ったうえでの、
もっとも大事なもの(のひとつ)の結果である。
Twitterの規約に引っかかって凍結されるかもしれないので、
そこはうまいことやってくれ。
薙刀式は、ある、ない、する、
という三大概念をまずやる。
これは本質的だが、もっと原始的であるべきかもしれない。
ということで、
なぎなた!ちんちん!
と最初に書くべきだ。
はじめにことばありき。
そのことばとはなんであったか?
「先方の意向により、リスケが必要になって、
そこは忖度して譲ったふりをしなければ」
などということではない。
世界の中心にはなんと書いてあるか?
神か?法か?
ぼくは、ちんちんだと思う。
2026年08月01日
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