2026年08月02日

【薙刀式】手書きのすすめ

色々10年やってきても、
まだキーボードは手書きに勝てていない部分がある。


以下、手書きといっても、
僕が主にやっている「縦書き」としようかな。

横書きならば、
手書きとキーボードはもっと近くなると思う。
でもどうしても縦書きの手書きに、
キーボードの縦書きが適わない部分があるんだよな。

身体の中心線と、文字の中心線が合わせられること、だ。


手書きだと、書道のように、
文字や書字の方向と、身体の中心が合うんだよね。

つまり、正中線と文字を一致させることが出来る。
日本語の文字や文というのは筆の縦書きで発達したので、
身体の中心と文字や文の中心がそろっている感覚がある。

極端な例を出すと、
中、書、正、などは縦棒がしっかり長いので、
これを書く時に背筋が伸びて、
体と字の中心線がそろっている感覚になる。
中心がそろいやすい字はもっとあって、
国、門、見、永、などなどだろうか。
探せばどんどん出てくると思う。
今書きながら適当に思い出しているだけだからね。

で、これと左寄りになる字、右寄りになる字とかがあるんだよね。
それらを組合せて、
中心に準じる字、左右に振られる字、
などで言葉を使いわけられるわけ。
つまり、この語は左重心であるとか、右重心であるとか、
真ん中にそろっているとかだ。
(「真ん中」はまさに真ん中にそろっている言葉だね)

左は大きく左に払うので左重心で、
右は斜め画は短めに書くので右重心だ。
そんな感じで、
左右に重心を移動させながら、
中心を軸に書いていくのが縦書きだと思う。

これは音による言葉が、
高いのと低いのとを行き来しながら発声されることに似ているかな。
アクセントやイントネーションみたいなものよね。
これらも文字にならないから、
おそらく音ベースの人は、
文字の表記に文句があるかもしれないが、
それはまた別の話としておこうか。

そういう中心の心地よさが、
縦書きの手書きにはある。
もちろんデジタルにはない。
スッと中心を通すようにはキーボードは打たないし。
(たとえば「中」を打つときに、GH同時押しをすれば、
ちょっとはそういう感覚になるかしら)


つまりどういうことかというと、
「文字と自分が一体化する」ということだ。

文字は私であり、私は文字である、
という感覚にすぐなれるわけ。


キーボードって、
自分とキーボードの関係が変わらないまま、
文字の位置がエディタの都合で左右に振られながら書くんよね。
これが気に食わない。

つねに文字と自分の正中線を合わせたい。

手書きなら、
紙を動かしたり、
座る位置は同じで体の重心を動かして左右に振ったりするだけで、
3行程度のぶれは吸収できるよね。
つまり、
つねに自分と文字の中心線は一致している。

これはエディタでは不可能なんだよな。

真ん中に文字があり続け、
ほかがスクロールし続けるエディタ、
たしかあったような気がする。

一回使ったけど、
前の文章の参照が厄介でやめた記憶。
あと左半分が何もないのも気になった。

あと、どうせキーボードだと、
打鍵感覚で真ん中にまっすぐ線を通している感覚はないし。

左右のバランスを取りながら、漢字は書いていくことが多いよね。
へんとつくりのあるやつとか。
その感覚も楽しいよね。


たとえば最近書いた原稿だと、
「寛慈」という人物名があって、
これがけっこう気持ち良く書けた。
IMG_6823.jpeg

真ん中の、
「ハードルを次々越えながら走る寛慈。」
という部分、「寛慈」が左右のバランスが良く書けていることが分る。
寛の下の左右の払いでのバランス調整や、
慈の下の「心」のバランスのとり方で、
「寛慈」という文字がまとまりがあるように書くことが出来る。
ここが決ることで、
その前からの一文が、
かなりまっすぐに書けていることが分る。

これは縦書きを書いている時の自分の調子を見る基準にもなっていて、
こういう風にまっすぐ中心線があるときは、
調子よく勢いよく書けている時だ。

逆に、二行あとの、
「一端立ち止まって、下がって、棒高飛びで越えようとする寛慈。」
の部分は斜めになって、中心線がずれている。
これは迷って書いている証拠なんよね。
(句読点の多さもそれを物語る)

もちろん、文章というのは、同じ調子ではなく、
勢いがあるときと、じっくり行くときがあり、
その心境が中心線のずれとしても出てくるんだよね。
だから、
あとで読んだときにどういう感覚だったか、
分りやすいんだよ。
この勢いを保とうとか、このためらいをもう少しためようとか、
逆にフラットになるように書き直そうとか。

デジタルはこうした気持ちを記録できないわけで、
全部フラットになってしまうのよなー。


僕が原稿用紙にではなく、
白紙に書くのはこれが理由で、
自分の気持ちが出やすく、
それが作品の内容に影響しやすいからだね。

ぐねぐねしたところはぐねぐねに書くし、
勢い良くガッと行けるところはまっすぐ書ける。
その感じそのものが内容と関係しているから、
手書きは面白いと思うよ。

これは、正中線が文字の正中線と合っているか、
ということがないと、
実感することが難しいよね。

つまり、デジタルはこの情報量が完全に0になっているので、
豊かではない、と言える。
手書きのこの豊かさが、僕にはほしい。


あと、単に正中線があっていると、
体が疲れない。
デジタルではこうはいかないね。
キーボードと体は同じ位置にいるかもだが、
寝返りを打たないのでかえって疲れるはず。
手書きだと、
文と体の正中線を都度合わせるので、
毎行体の重心が左右に移動するはず。

それによって結果疲れないがありそう。
我々は固定された固体ではなく、
つねに揺れる船のようである。
動的平衡感覚というやつかしら。


あと、僕の字はとても汚い。
というか、高速で書く用に特化している。
書き順が合ってたらあとで読み取れるやろ、
というくらいに省略している。
草書とかとも違う省略字だね。

筆がつながっていることは、
筆跡から読み取れるかしら。
つまり、直線で書いてなくて、
すべてつながっている曲線で僕は書いているのよね。
この、「文はそもそもつながっている感覚」
というのを、デジタルでは得られにくい。

前の運動が次の運動の予備動作になっているわけで、
前の運動が次の運動を呼び込むようになっている。
だから、手癖が次をつなげやすい。
だから言葉が途切れずにどんどん書いていける。

デジタルではそうなっていない。
前の勢いが次の言葉を連れて来ることはない。
頭の中の勢いはあるが、
手の勢いが、ということはほぼないよね。

だから言葉に詰まりがち。
手書きなら、手癖でずんずん続けられる。
逆に、
手癖だとこうだが、今は逆をやるべき、
という判断も可能だ。

こうして、順逆をつねに感じながら、
文体を紡げる。
デジタルはそれを頭で感じなければならない分、
負荷が高く、頭がその分鈍くなると思う。



さて、これらは縦書きの話だったが、
横書きでもある程度はある?
ただ弱いだろうな。
だから、横書きの手書きvsデジタルだと、
「どっちでもいいんじゃね?」って僕は思ってしまうことが多いw


書く動作や身体特性や、
文字そのものからフィードバックを受けて、
次がある。
手書きというのはその回転体のようなものだ。

デジタルにはそれがなくて、
それを利用できないから、
文章を紡ぐのに、余計に苦労する。

posted by おおおかとしひこ at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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