口と手という違いではなく、
本質的に違うよなーと僕は思っていて、
その違いを書いてみる。
これは僕の場合で、
他の人はわからない。
なのでそんなもんなのかー、かもだし、
その通りだ、かもしれない。
内容に複雑さというパラメータがある。
言うのは複雑なことを言うのにむいてない。
中身がごちゃっとなりがち。
書くのは複雑なことに向く。
ごちゃっとしてても、丁寧に腑分けすることが可能だ。
解剖学のメスみたいなのに近いかな。
複雑な事を言うのには準備がいる。
事前に構成を考え、
緩急も計算して、
一気に言わなければならない。
複雑な事を簡単なことに変換し直すのも重要だ。
ある複雑なことは、
このような見方をすると簡単になるのだ、
みたいなことがないと、
複雑な事を複雑なまま言うのは難しい。
逆に、そのような視点の転換の発見があると、
言うことは発見を伝える事になるよね。
格言というのはそういうものだと思う。
格書というのはない。あくまで言うのだ。
(あるとしたら覚書かなあ。格言ほど短くないよな)
これは、
「脳内に想起できる量」が関係してると思われる。
言うはリアルタイムなので、
それで処理できる量が上限なのだろう。
一方書くことは、
読み手が行ったり戻ったりできるので、
比較的脳内想起量を大きめに設定できる。
たとえばこれから書く事を箇条書きや表にして、
それぞれはその一部である、
という風にしておけば、
かなり大量のことを迷わずに書けるし、
読めると思う。
言う、聞くでは、時々前提忘れちゃうよね。
(だから火サスでは、1時間過ぎに、
これまでの事件のあらましをまとめるパートが存在した)
さて。
僕は、言うレベルのことはスマホのフリックで書く。
書くレベルのことは薙刀式で書く。
言うレベルやろ、とフリックで書き始めて、
見積もりが甘くなり途中で複雑になっていって、
困ることも多々ある(今これはバーガーキングでフリックで書き始めて、
少し困っているw)が、
最初から複雑な話になるなーと予想される時は、
薙刀式を構える。
使い分けだね。
書くレベルの事をうまく洒脱して、
言うレベルまで凝縮できたら、
スマホかなあ。
スマホって電話だから、言うのに隣接してるから?
そこはそんなでもないか。
ポケットから出してスッと書きやすいのがでかいね。
書くのは、たとえ手書きでも、
紙とペンが必要で、
むかしは小さなメモ帳を尻ポケットにいれて、
いつでもアイデアをメモしてたなあ。
(今はスマホのevernoteのほうが速い気がする)
言うのがすぐ言える。
書くのはすこし構えが必要。
言うのは簡単なことまで。
書くのははなから複雑な事が扱える。
あと、言うのはひといきレベルまでしか言えない。
せいぜい20〜30分で尽きる。
書くのは、それこそ8時間は座ってられるかな。
もちろん、小一時間とか、刻んで刻んで書くことが多い。
人間の集中力の基本単位は15分だからね。
言うのはせいぜい2ターン、
書くのは10ターン以上持つってことだな。
というわけで、
書きたい時には、フリックは使わない。無理だと知ってる。
そしてqwertyローマ字も使わない。
無理だと分かっているので。
言いたい時は、フリックかな。
今ここに薙刀式があれば、
薙刀式でもやっちゃうかも。
今バーガーキングで、カバンからノートを出して開くのが面倒。
その手間を惜しんだせいで、
ここまでフリックで書く羽目になったwww
たぶん薙刀式なら、半分程度に楽できたろうなー。
失敗したわwww
この文体は、言う文体?書く文体?
中間くらいかな。
脚本論はもっと書く文体で書いてる。
書くというより、述べる、議論する、にちかいかな。
脳内発声がある人は、
言うがベースなのかなあ。
書くことは言うの記録にすぎないと思うのかしら。
同じ文字化するときに、
口語調でいう感じに書く、
文語調で書く、程度の使い分けしかしてない?
そんなことないよね。
口の立つ人が書くのは苦手、とよく言うけれど、
そもそも書く文体が身についてないから苦手なのでは、
に1票を入れとくかな。
2026年08月03日
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