逆なんじゃないかと思う。
書いたから、賢くなったんじゃないか、
って思うんだよ。
先に賢さというものがあり、
それがなんかグルグル回って、
書くものを吐き出す。
それを手が記録する。
そういうことじゃないと思うんだよ。
僕がやってきたことを考えるとね。
まず書く。
書いたことをベースに次を考える。
書いたことは分っていることで、
書かれていないことが分っていないことだ。
だから、書かれていないことを、
もっと考えることになる。
調べてもいい。
他人がどう考えているかを調べてもいい。
ちょっと賢くなる。
また書く。
以前書いたことよりも賢いことを書ける。
そのループで、
どんどん賢くなっていく。
賢さは不変だろうか?
IQって一定になっていて、
生涯変わらないのかな?
経験や知識がふえたりしたら、
IQは更新されないのかしら。
賢さは変動すると思う。
更新されると思う。
僕は子供の頃から賢い子と言われて、
現在に至るのだが、
一度も自分を賢いと思ったことはない。
いつもレースを走っているような気分かな。
賢くなり続けている、
という自認だなー。
それは、書くことが一番早い。
もちろん、インプットをしてもよいが、
インプットだけでは賢くならない気がする。
それを使えないと賢さじゃないと思う。
書けるのか、考える材料に出来るのか、
それを使ってなにか出来るのか、
前は出来なかったことが今出来るようになったのか。
その賢さを微分していく感覚が、
書くことじゃないかと思うわけよ。
その結果、また自分が変容していく。
それが書くことじゃないかと思っている。
複雑なことを書ければ書いたほど、
次はもっと賢くなる。
その繰り返しと、
柔軟性が、知性じゃないかしら。
言うだけじゃだめかな?
脳内処理可能情報量が少ないから、
無理じゃないかな。
言う以上の複雑なことを整理して、
腑分けする作業を通してしか、
さらに知性は上がらないんじゃないかしら。
つまり限界いっぱいしないとダメなんじゃないか、
って思っている。
筋肉と同じでね。
ということで、僕は今日も書き、日々賢くなってしまっているのだ。
たいしたIQじゃないかもしれないがね。笑
2026年08月03日
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