何を言ってるんだってなるよねw
一般的に書くことは出力だと思われている。
ちがうんだよなー。
前記事までの議論を考えると、
書くことは入力の一部になっているんだよな。
フィードバックループって言うんだっけこういうの。
なにかを書く→そのことによって自分の賢さが更新される
→それによってまた書くことが出来る
というループにおいて、
書くことがすでに自分への入力になっているわけだ。
これを書いたからには、
この後これを書けるだろう、
が発生するわけだ。
薙刀式がなぜいいか、qwertyローマ字を僕がなぜ僕が否定するか、
というと、
書くを入力に出来るか/出来ないか、の差なんだろうな。
単語単位、語単位で、
薙刀式は「棚のあのへん」にある、
それらをつなぎ合わせて編むことが文章であり、
思考である、
みたいな感覚になる。
qwertyローマ字にはない。
あるのかもしれないが、
僕は出来なかった。
棚に置くのには難易度が高いからだと考えられる。
薙刀式とqwertyローマ字、
両方ある程度まで出来る人じゃないと、
この感覚を共有することが出来ないので、
まだ机上の空論だけど。
僕はqwertyローマ字がだめだと思っていて、
いくつも理由を書いているが、
書くことが入力にならないから、
というのは別の視点としてあり得るかなあと思ったので、
書きしるしておく。
向き不向きなのか、たくさんの人に当てはまるのか、
僕だけのレア現象かは分らん。
2026年08月03日
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