2026年08月03日

【薙刀式】書くは入力である

何を言ってるんだってなるよねw
一般的に書くことは出力だと思われている。
ちがうんだよなー。

前記事までの議論を考えると、
書くことは入力の一部になっているんだよな。
フィードバックループって言うんだっけこういうの。


なにかを書く→そのことによって自分の賢さが更新される
→それによってまた書くことが出来る

というループにおいて、
書くことがすでに自分への入力になっているわけだ。
これを書いたからには、
この後これを書けるだろう、
が発生するわけだ。


薙刀式がなぜいいか、qwertyローマ字を僕がなぜ僕が否定するか、
というと、
書くを入力に出来るか/出来ないか、の差なんだろうな。

単語単位、語単位で、
薙刀式は「棚のあのへん」にある、
それらをつなぎ合わせて編むことが文章であり、
思考である、
みたいな感覚になる。

qwertyローマ字にはない。
あるのかもしれないが、
僕は出来なかった。
棚に置くのには難易度が高いからだと考えられる。

薙刀式とqwertyローマ字、
両方ある程度まで出来る人じゃないと、
この感覚を共有することが出来ないので、
まだ机上の空論だけど。


僕はqwertyローマ字がだめだと思っていて、
いくつも理由を書いているが、
書くことが入力にならないから、
というのは別の視点としてあり得るかなあと思ったので、
書きしるしておく。

向き不向きなのか、たくさんの人に当てはまるのか、
僕だけのレア現象かは分らん。
posted by おおおかとしひこ at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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