僕は不可能だった。
qwertyローマ字を使いこなせるほど指が強くなかった。
使える人はみんなできてるのだろうか?
僕は手書きはまあまあ達人だ。
ずっと手書きでやってきたので、
900字/10分と、大学生平均の300の3倍程度速い。
字は汚い。自分で読む専用だからね。
(そして読み返すことはあまりない。
書いた感覚で覚えてるので。
なんて書いたっけ、と参照するときだけ読むかな)
いまいちど僕の汚い字を晒す。
この中央の行、
「ハードルを次々越えながら走る寛慈。」
を観察してみよう。なお寛慈は人名。
筆跡で筆の繋がりが分かると思う。
これは、
ハードルを次々/越えながら/走る/寛慈
とブロックごとに一気書きしている筆跡だ。
これは、書くことは(出力でありかつ次への)入力である、
ことになっている。
「ハードルを次々」を書きながら、
「越えながら」を出力の踏み台にしてるわけだ。
「越えて走る」にならないのは、
前の文脈で、
「陸上には、走る、跳ぶ、投げるの3種があるが、
ハードル走は跳ぶ競技ではなく、走る競技に属する」
というエピソードがあったから。
それがうまくいかない感覚で、
しかし走ろうとする意志が彼にはあるので、
そのギクシャク感は背後にある。
つまり、僕は「次々越えて走る」を出力しかかったが、
待てよ、そんなうまないやろ、と「次々」で止まり、
これは違うなとミリ秒迷って、
「越えながら」に変更して、文意が足されていったことが、
この筆跡から読み取れる。
こうした、出力しようとして、
それが入力になって、
次の出力に影響を与えることが、
そもそも書くことである、
という話が前回まで。
これは手書きなら僕は当たり前にやっている。
この例はかなり高速のフィードバックループで、
思考負荷が軽い例。
一方左端の、
「一端止まって、下がって、棒高飛びで越えようとする寛慈。」
は、ゆがんで、斜めになり、
文字の正中線もずれていることがわかる。
これは迷いながら、出力したものを入力して、
言葉を選んで継いでいった部分。
寛慈はマラソン選手で、先輩のハードル走の円香が好き。
(先程の「ハードルは走る競技」は彼女の言葉)
しかし彼女は大原主将と付き合っている。
これはイメージの中で、
数々のハードルの向こうに円香が待ってて、
ハードルを彼女が言ったように「走るように」超えようとしたのだが、
大原主将が最後のハードルになってて、
これを走るようには超えられず、
やむなくズルをしようとして、
円香に「走って越えるんだよ!」と無茶を言われるシーンの一部だ。
つまり、
この寛慈の迷いと僕の迷いがシンクロしてるわけだね。
その前の、
正中線と揃って勢いがある、
次々とハードルを超えていく部分も、
寛慈の気持ちと僕の気持ちと筆の勢いがシンクロしている。
そして寛慈がハードル走がうまいわけではないため、
少しだけぎくしゃくして、
なんとか「走る」を体現しようとしてることすら、
筆の勢い=入力と出力の関係でも、
見て取る事ができるわけだ。
僕は、手書きならば、
このような、内容と思考と筆の一致が可能だ。
そういう意味では、僕は手書きは自分の一部になっていて、
動けば物語が書ける境地にいる。
これがタイピングではできない。
少なくとも僕は、qwertyローマ字では絶望的に無理だ。
「いやー世の中PCとかタイピングとか言ってるし、
いっちょ俺もqwertyローマ字のブラインドタッチやってみるかー。
それでカタカタできるようになったら、手書きいらなくなるわー。
いろんな人がコツを解説してるぞ」
と安易に思ってやってみた
(それまではサイトメソッドで530字/10分だったので、
いい加減速くなりたかったのだ)が、
初手の小指Aに不合理を感じ、
僕が普段批判している色々な無理で無理になり、
ついでに腱鞘炎になった。
「軽い」と評判のHHKBを使ってすらだ。
(HHKBは当時としては45gで軽量の部類だが、
今の僕は30gと12g親指で運用しているので、
激重だね)
俺が悪いのかと考えたが、
そもそも人間に不自然な指使いでは?
と思って、カタナ式をつくり、薙刀式にいたる。
さらにワンショット漢直をくわえて、
ようやく手書きの7割くらいの感覚で、
タイピングでものが書けるようになった。
3割劣る理由としては、
上の手書きであったような、
文字と手と思考と内容や、登場人物の息遣いや迷いなども含めた、
入出力の幸福なループが、
まだうまく回らない、
という感覚があるからだね。
ざっくりいうと、理想の10に対して、
3ほど抵抗摩擦があるような感じ。
遅い速いでいうと、
薙刀式ではすでに手書きより速い1500になってるんだけど、
それでも思考と手の幸福なループに比べて、
3割できてない、ないし摩擦がある状態で、
無理に進めるような違和感がある。
それはIMEの漢字変換というノイズだったり、
そもそも左手を使わなきゃいけなかったり、
右の小指を使わなきゃいけないこともあるかもね。
手書きほど、
「次の言葉への動線が曲線でつながる」
機構になってないことも大きい。
あるいは、言葉と身体の正中線があわない、
エディタの機構の問題もあるかもしれない。
未発見の要素かもしれない。
なんにせよ、
これだけやっても、
手書きに劣るというのが僕の実感。
で、ようやく本題だ。
qwertyローマ字で、僕の手書きでやってるような、
入出力ループでものを書いてる人はいるかな?
つまり、原理上qwertyローマ字で可能かな?
ということを問いたい。
(音では可能かもしれない。
ラクダエンさんは音韻ループを用いて実現してるっぽい。
だが僕は脳内発声がないため、
視覚または身体感覚、動線感覚でやるしかない。
以下はその身体感覚でものを書く時に、
qwertyローマ字はどうなってるか、
という話だ)
少なくとも設計上、
それを可能とした形跡はないし、
それをアシストする設計の形跡もない。
qwertyローマ字の動線がめちゃくちゃなことは、
過去記事で何度も検証してきた。
手書きにたとえれば、
どんな文字も「鬱」くらいの複雑さを要求される感覚だ。
で、
qwertyローマ字で、
書くは入力である、をできてる人はいる?
できるようになる確率はどのくらい?
僕が薙刀式+ワンショット漢直でできてるくらいは、
できるもの?
僕はqwertyローマ字の挫折者なので、
その辺がわからないんだよね。
もし手書きで僕がやってることが、
書くことの奥義だとして
(なぜならあまり聞いたことがないから。
しかし書くことは入力である、
ということ自体は認知科学的には深い研究があるだろうし、
書くことについて書いたことではちょくちょくある)、
そこにqwertyローマ字でたどりつくことは困難である、
は言えそうなんだよな。
あるいは、
もしqwertyローマ字を使って沢山文章を書いてる人が、
ほとんどこの領域に来れてないのだとしたら、
qwertyローマ字は書くことの奥義へたどり着く事を阻害する配列である、
のように言えるかもしれない。
もともと僕の直感の正体はこれで、
科学的検証はない。
でも傍証はありそう。
qwertyローマ字を学びかけたとき、
アカンこれはうんこや、
ちゃんと知らん人がつくったやつや、
と僕は思った。
下駄、親指シフト、新下駄、飛鳥、JISカナ、新JIS、
触ったものすべてについても、
おそらくそういう風にはつくられていない、
と感じたので、
そのような薙刀式をつくるしかなかった。
100%できてはない。
とりあえず今70%くらいにはなった。
僕の言う奥義が真の奥義ではない可能性、
僕だけがqwertyローマ字を脱落した可能性、
薙刀式が書くことの、僕のではない真の奥義にたどり着いている可能性、
qwertyローマ字が別の奥義に連れていく可能性、
はもちろんある。
つまり僕1人が狂っている可能性だ。
その可能性をはらみつつ、
どうも類例をしらべるかぎり、
僕の直感は当たってそうな気がする。
残念ながら僕はqwertyローマ字が使えない
(せいぜいブラインドタッチで600程度だろう)ので、
自分で検証できない。
使える人におかれましては、
僕が手書きでいつもやってることが、
原理的にできるかどうか、
その難易度について、語ってください。
タイパーならわかるんじゃね?と思ったのは、
少なくともqwertyローマ字についてしゃぶりつくしていて、
しかも脳内発声がないと思ったから。
だけどタイパーで創作についてしゃぶりつくしてる人は、
まだ現れていないので、わからんのが現在地。
手書きならばそれはできる。
なぜなら、文字や日本語はそのようにできてるから。
庖丁が牛を解くように、
それがそっちへ誘導するように筆を動かせばできるので。
ただ、qwertyローマ字はそうできてないと僕は思う。
詳しくないため、本来はこうのはずなのに、
qwertyローマ字ではこう、みたいな具体ができないのがくやしい。
書くは入力である、ということを、
そもそもわかる人が少ないかもしれないので、
この文章自体キチガイのメモである可能性もあるなー、
と思いつつ、
恥を晒しながら書いてみた。
全員に共有できる話ではない。
だから、もうわからん領域の話だ。
だが僕個人としては、強烈な違和感、摩擦を、
なんとかして潰していく10年だったと総括できるかな。
まだ70点だけど、qwertyローマ字では2点ぐらいしかなかったしな。
そして散々自作キーボードをやって、
他人の設計やビルドを1万台は触っても、
まだキーボードがペンに勝るとは思えないんよな。
可能性はある、だけど延長にはならないのでは、
という疑義はある。
現在地点の総括はこんな感じ。
じゃあペンで書けや、なんでデジタルやるの?
と自分に刃をむける。
僕はデジタルを生きてはいけない人かもしれない、
というコンプレックスをはねのけて生きてるんだろう。
まあこれらは一番エッジの最先端で起こってることだ。
それと関係なく、
薙刀式はメールやチャットにも便利であり、
中規模の文を書くのにも楽できる道具だと思う。
2026年08月04日
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