そういえば僕がとてもqwertyローマ字が苦手なのは、
脳内発声がないからかもしれない、
ということに思い至った。
脳内発声がない人がどのように言葉を書いているのか、
ビジュアライズすると、
そうじゃない人にそれを体感させることが出来るかもしれないので、
やってみる。
qwertyローマ字をやり込んでいるわけでないので、
苦手語句をピックアップすることが難しいのだが、
たしかこれはきつかったなー、というのを4つほど選んでみた。
僕は脳内発声がないため、
言葉を文字のビジュアルや色や触覚
(さわさわしているとか、もわもわしているとか)や、
空間感覚(あのへんにある言葉)として、
認識している。
視覚言語者、触覚言語者の両方かな。
聴覚はない。
読むとき、考えるとき、書くときはない。
出すことは出来るが、
おそらく普通の人よりメモリが少ないと思う。
聴力は健康診断で問題ないレベルだけど、
聴覚から脳のつながり、その中の回路の具合だと思われる。
で、キーボードでどういう風にブラインドタッチで言葉を打っているか、
を言語化すると、
「言葉と運指が結びついている」
ような一対一対応関係がある。
「右ストレート=左足を踏み出して、
右腰と肩をひねり、まっすぐ右こぶしを突き出す」
みたいなマクロ化しているわけだ。
言葉と各文字の運指が一体化する。
「られる」は、こうなっている。
qwertyと薙刀式比較。
qwertyは比較で見ると複雑だ。
これを写真記憶で捉えるのはまあまあ難しい。
身体記憶、ダンスとしても複雑なステップだ。
薙刀式は写真記憶は一瞬だし、
ダンスとしても二手みたいなものだ。
派生形に行こう。「られている」
qwertyは先のものに複雑な尾ひれがついて、
より困難になっている。
薙刀式のものはまあひといきに行けるやろ、
という範囲に来ている。
言葉の単位に対して、qwertyは複雑すぎるビジュアルだし、
身体記憶(触覚の範囲だろう)としても複雑だ。
薙刀式のほうがパッと見整理しやすく、
られ/ているという活用形に対しても、
対応出来る範囲になっている。
「させた」を見てみよう。
qwertyは苦手のS周りが入っていて、
かなり複雑な動線だ。
薙刀式は左右交互打鍵で記憶可能で、
脳内で転がしたりつなげたりすることが簡単なパーツになっている。
派生形の「させたので」とつなぎの言葉を足してみよう。
qwertyはもうビジュアルとして記憶するのは無理。
薙刀式は比較的パッと見で行ける。
音を介しない場合、
こういう感じのビジュアル、
またはダンスのステップのような感覚と、
言葉の感覚が結びついている。
もちろん手書きも同じだ。
音を介する場合、
一切こういう感覚はないのかもしれない。
脳内の音韻ループで、
音が響き続け、
それを指で拾っていくだけでいいのかもしれない。
そういう意味では、コピー打鍵と状況はかなり近いかもしれないね。
言葉をチャンク化するような、
タイパー的な技術を導入する前は、
逐語的というよりも、逐音的なのかもしれない。
となると、
僕の言っている、
「言葉と動線の対応関係」などということは、
あまり実感がないかもしれないなあ、
などと思った。
もしあなたの脳内に音がなく、
動線のビジュアル記憶や運動記憶のみで、
言葉を動線化しなければならない、
ということになったと想像してみよう。
どっちの配列を選ぶかは、
火を見るより明らかになるかもだ。
qwertyに不利な言葉だけかなあ。たぶん妥当なチョイスよね。
どんな言葉でも大体こういう感覚があると思う。
あらゆる言葉がこういう複雑なあやとりに見えて
(あるいはダンスとして強要されて)、
絶望している僕の気持ちを少しは図示できたろうか……
2026年08月04日
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