2026年08月05日

【薙刀式】高速タイピングって……つかれない?

身も蓋もないことに気づいてしまった。


タイプライターの時代から、
高速タイピング高速タイピング言ってきた。

この価値観は第二次産業の指標だ。
高速に動ければ、大量に生産できて、
利潤があがるというやつだね。

8時間労働で生産効率を追求する、
労働者を雇う側からしたらそうだろう。
おお、今日もようはたらいとるな、おつかれさんや、
というやつだ。

でもさ、
高速に動き続けたらつかれるじゃん。


経営者ではなく、
労働者側の目線から見たら、
同じ生産量を吐き出すのに、
より低速なほうが楽じゃね?

なんで高速でシャカシャカ動く必要があるの?
頭弱くないか?
頭いいやつは、
ゆっくり動いて楽しながら、
同じ結果を出すべきでは?


僕がタイピングの速度測定に根本的に疑問なのは、
「じゃあその速度で8時間働いて」
と誰も言わないことなのよね。

いや、苦もなくできますならいいけれど、
みんなハアハアしてその記録を狙ってて、
その全力ハアハアで8時間もでけへんやろと思うわけだ。

仕事が3分しかないならば、
タイピングゲームが強いやつが一番金持ちになれるが、
仕事は8時間あるし、1か月あるし、
定年まであるじゃん。

楽して働こうよ。
その分頭回転させようよ。



つまり、速度を競うのはいいけれど、
マウントの取り合いにしか使われてなくね?
マウント取り合いゲームです、
と堂々と言えるなら別に構わないけどね。


僕は秒3打くらいでもたまにしんどくなるな。
1日中打ってたらそうなると思う。
たまにブログは数記事まとめて書くことがあるけど、
頭より手が疲れちゃう。
そんなの道具として不合格じゃん。

だから僕は、8時間速とかで測った方がいいと思うよ。
飯休憩ありでね。
あるいは、
8時間やって、乳酸溜まってないやつが優勝であるべきだと思う。
(数値化できるかは知らないが)
明日も働けるかのほうが大事だ。



僕が昔からタイプウェルやるのはなんで?
と思っているのは、
トータルでやることに対して近視眼的じゃね?
対症療法的じゃね?
っていうことだね。

効率化という大きな目的の中では、
要素として小さいのでは?と思ってしまう。
もっと大きなところを見落としてると思う。

そういう小さいものを一つずつ潰していく結果で、
仕事というのは効率化されるのである、
ということかもしれない。
だとしたら、その一つずつをぜひ教えて欲しい。

僕が聞いたことあるのは、
姿勢の矯正や物理環境を整えること、
単語登録、
ショートカットの有効活用、
確定代わりに次の文字を打つ、
いいエディタを使う、
いいコーヒーやティータイムを入れる、
軽い音楽を流す、
などだった。

それプラス高速タイピングでおしまい?って思ってしまう。


もちろん、
高速タイピングと最終的な仕事の関係は、
直接つながるのではなく、
○○○○なのだ、
という議論があってもいい。

○○配列で○○スコア出しました、
というのはいいけれど、
それだけでは、
書くことに対してどのように機能したのかという、
本題が欠けてるのではないか、
と思ってしまうのよね。



薙刀式はこれに対して、
いかにして脳と直結するか、
脳から文字までの摩擦を減らしていくか、
を考えてきたような気がする。

脳から字までのひっかかりを丁寧になくしていくことで、
よりよい質を生み出すことが目的だ。

文節の塊が打鍵塊になるような運指構造で、
文節単位で考えられるようなブレーキ打鍵を含むことや、
操作系が文字と一体化することで、
変換確定や修正をシームレスに行えることや、
編集モードでさらに強力にそれをサポートすることや、
指の負荷を極端なバランスにしたことで、
弱い指を壊す事がないようにしていること、
などを提案してきた。

日本語は筆の縦書きで発達したのだから、
それで書けるようなエディタや打鍵法や打鍵姿勢や、
それを可能にするキーキャップやギアも開発してきた。

あるいはIMEのランダムパチンコを減らすために、
ワンショット漢直という、
変換の勘所を抑える最低限の150漢字の漢直もつくった。

最終的には、思考と手の動きの一致という、
摩擦のない状態をめざしていると言える。



文字を入れ替えて効率化して、
それらをスコア○○で高速タイピングできたことは、
いいことだと思う。
それと、仕事の関係について、
議論が待たれるところだな。


新下駄配列のkouyさんは、
速さと楽さを必要十分関係にするようなつもりで、
新下駄配列をつくって実践していると思う。
他の人のそんな話をもっと聞きたいものだ。



僕は自分の脳内思考速度が、
およそ2000字(変換後)/10分だと推定していて、
そこにまだタイピングが追いつかないことが苦しい。

たとえば500の人がいて、
高速タイピングによって500を超えて書けるなら、
それがゴールなのだろうか?

脳内1500の人がいて、手が1500で書けたらゴール?

そういう意味では僕はまだゴールできてなくて、
なんでかを考えている。

そのうち手も衰えるだろう。
もっと楽しなければならない。



高速タイピングを実現できた人は、
もうエンドゲームなのかな?
その到達した世界を知りたいのよ。

また、高速タイピングがかつてできたけど、
衰えてできなくなった人は、
どうしてるのだろう?
字を書く事を諦めたのかな?

親指シフトを奪われたかつての親指シフターは、
そういう人も多いよね。


僕は高速タイピング自体はナンセンスとまではいかないが、
ほどほどでええやろと思っている。
だってしんどいじゃん。
仕事ってのはハアハアやるものじゃなくて、
鼻歌でやるもんだ。
ハアハアの量に仕事の量が比例するなら、
それは効率とは言わない。

鼻歌の余裕で大量に質の良いものを生産するためには、
どうするかを考えるべきだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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