前記事の続き。
本来、おもしろいものは自発的につくられるべきだ。
「こんな面白いものが出来たぞ」って。
それからプロジェクトが動きだすのが理想だろう。
だけど現実的には、
「この枠にはめる面白いものをつくってくれ」がほとんどだから、
真に面白いものが発生しにくくなるのではないかなあ。
たとえば、
「この3人組を売り出すための脚本をつくってくれ」とか、
「この商店街を売り出すための脚本をつくってくれ」とか、
「この商品を売り出すための脚本をつくってくれ」とかだね。
そういうものは金が出る。
プロモーション費というやつだ。
そして仕事として発生しているから、
締め切りがある。
ある条件のもとで、締め切りまでに面白いものを作り出す、
というのはプロの資質でもある。
仕事としての資質だ。
だけどこれはある種の縛りプレイだよね。
「なんでもいいからベストをつくって」ではない。
本来、最高のものを作るのに、
縛りプレイをするバカはいまい。
何にも縛られない、最高のものをつくるべきだ。
小説や漫画では可能だろう。
自分一人でつくれればいいからだ。
だが映画は複数の人を巻き込み、
数百人を動かし、億単位の金が動く。
だから、その金と時間をどこから調達するか、
という問題が出来あがる。
だから自主的につくることは大変難しく、
スポンサーを入れることになる。
正しいスポンサーというのは、
「こういうことをやりたいので出資して、
儲かったら返す」というものだったが、
そのうち、
「こういうものを売り出したいんだけど、
金はある、期限はここまで、だったら金を出す」
というものが多くなってきたんじゃないかしら。
もちろん、縛りプレイをした結果、
偶然傑作になることもある。
その縛りが有効に効いたときだ。
だから縛りプレイ全否定はしない。
でも確率論よね。
縛りプレイをしたら最高のものより高くなる確率は、
僕は低いと思う。
こうして、
「縛りの要求には答えてるが、大して面白くないもの」と、
「縛りの要求には答えていないが、面白いもの」では、
前者の方が採択されて、
まあまあの面白さが世にはびこることになる。
これは、最高の面白さを求める人たちには、
不満になるよな。
じゃあ、
何でもいいから面白いのを持ってこいよ、
という場がないんだよ今。
脚本コンテストはどんどん減っていってるし、
映画は実質城戸賞しかない。
映画プロダクションはそういうものが喉から手が出るほど欲しいんじゃないのかな?
違うのかな?
そういうものが欲しいけど、
スポンサーが見つからないのかな?
最近芸能事務所が売り出したいタレントを出す映画の出資者になるとか、
音楽事務所が売り出したい楽曲を以下同、
というのが増えたよね。
一般企業の金が集まらないのだろうか。
事情が分らないから全然分らない。
「ウチなら最高に面白いのが出来るから、
あとは面白い脚本待ちです」
というプロダクションは日本にもうないのかしら。
ネットフリックスやハリウッドにはまだありそうだけど。
その冒険が出来るのは、
今日本では漫画や小説だけなのかなあ。
かつて僕はそう思って、
小説を書いたりしてみたが、
どうも小説には向いていない、
というか脚本に向いている、ということが分ったので、
あんまり本気で小説のことを考えていない。
ずっとやって来たことと大分違うのは分ったし、
本気で小説は読んでいないので、
本気でやろうとする人にも失礼だと思うので。
仕事としては書ける。
だがベストではない。
みんなそうやって食いつないでいるうちに、
最高出力が出せなくなる体になってしまったのでは。
そんな感じがする。
じゃあやってみろよ、といつ言われてもいいように、
僕はたくさんの脚本を書きためてきた。
一部はnoteにまとめたし、
そもそも作品置き場とはそのようなものとして始まった。
縛りプレイなしで仮に最高出力をしても、
読む側のリテラシーがないと、
読み切れないという問題もある。
脚本はとくに小説と違い、
意図する映像が想像できないと、
訳が分らないものになりがち。
だから難しいジャンルだと思う。
読書体験としては、想像力のある人ほど楽しいとは思うがね。
(ただ1割しか面白いのは混じっていない。
ジャンプが後半の漫画が面白くないのと同じだ)
というわけで、
縛りプレイなしで、
いつでも書けるように、
出力をマックスに出来るようにしておけ。
縛りプレイの中で生き残るのは、
あくまで手段だ。
その手段で、いつの間にか腐って来たのが、
現在の業界の空気な気がする。
気のせいだったらいいのだが。
2026年08月29日
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