「このあと絶対これを利用して面白くなるんだろ?」
という確信がない限り、
ただの状況説明はつまらないものだ。
チェーホフの、
「壁に掛けた斧は、あとで必ず使われる」
という格言を思い出そう。
「ここに斧があります」だけだと、
ただの説明だ。
でもそれが「きっとあとで使われるのだ」
と思うから、
我々はその説明を聞けるわけだ。
「あとで誰かの脳天を勝ち割るのだろうか」
「あとでドアをぶち破るときに使うのだろうか」
「あとで木を切り倒す時に使うのだろうか」
などなど、
あとで使うと想像するから、
状況説明は楽しいわけだ。
「ここは高い所です」
という説明ならば、
必ず誰かがそこから落ちるに決まっている。
だからドキドキするんだよね。
状況説明は、
だから期待できればできるほど、
長くても文句はない。
つまり、
「これはオチのための前振りです」
ってなっているから、
オチのために、
みんな前振りを理解しようとするわけだ。
オチで爆発するのを期待しているから、
状況の前振りを頭に入れるのだ。
「なるほどね! そういうことか!」と、
オチで納得したいからで、
それを見るのが物語を見る目的だと言ってもいいからね。
だから、
状況説明というのは、
その前振りなのだ。
それを使うという期待とともに、
状況説明をするといいだろう。
「今なんだか分らないから状況説明をする」
という後ろ向きな状況説明は、
大体面白くない。
「今なんだか分らないから、
状況が分ってくるとともに、
これはあとあとこうなるんだろうという期待をさせる」
がうまい状況説明というものだ。
たとえば、
「AとBは腹違いの兄弟である」
となったとき、兄弟の愛憎がのちに描かれなかったら、
「その説明いらなくない?」って思うのよ。
「なんのためにその説明、設定をわざわざ覚えたの?」
ってなるわけ。
覚えるのは負荷だ。
学校の勉強で一番つらいのは、
「なんのためにその知識がいるの?
何に使うの?」が分からない時だ。
何に使うのか、それが分かってくると面白くなってくる。
その関係にならなければならない。
全ては前振りに。
その回収こみで前振る。
2026年09月01日
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