twitterで見かけたのだが、
とある犬と男の後ろ姿の写真があって、
光線が良い感じになってて、
「映画になる」「映画化決定」みたいなコメントがついてたのね。
それはそうと思ったんだけど、
逆に「映画になる」ってどういうことなんだろう、
「映画っぽい」ってどういうことなんだろう、
ということを考えてしまうわけだ。
多分「特別なこと」が、
映画っぽいことの条件のような気がする。
ふつうにある、ただのしょうもないものは、
映画にならない。
映画に期待されることは、
「特別な、わざわざお金と時間を払って対価として得られる、特別なもの」
じゃないかしら。
それがガワのこと(光線やキャスティングや、
大音量や4Kみたいな高画質)であるべきではない、
というのが僕のこれまでずっとやってきたことだ。
それは仏作って魂入れずだよな、
ということだ。
もちろん、正しい魂のいれどころとしての、
正しい仏はあるべきだ。
じゃあ、中身が特別ってどういうことなんだろう。
めったにないこと、ということだと思う。
ただレアなだけじゃなくて、
レアかつ特別に大事にしたいもの、
という意味もあるかもね。
そういう意味では、「有難い」の原義、
めったにあるものではないから、
よろこばしい、感謝する、ということになるわけだ。
犬とおじさんの、
なんでもない写真なんだけど、
あの時たしかにあった幸せの時間、
みたいな特別感があった。
どっちかが死んだあとに思い出すみたいなことなのか、
ただのいつもの幸せな時間として描くのか、
気づいてなかった実は貴重な時間として描くのかは、
映画の文脈によるだろうけど、
大体そういうことかもしれない。
何か事件があると、
良く「映画化決定」みたいなリアクションがあることがある。
これも、
「めったに起らない、特別な事件だから、
映画になるんじゃないか」
ってカンを表現したものだよね。
もちろん、写真のトーンや芝居で、
それらしい写真をつくることが出来るが、
それはガワの話で、
我々は、
なぜそれを描くのか、それがどういう効果があるか、
という中身の話を、脚本でするわけだ。
それはつまり、
「特別なものだから、描く価値がある」
だと思う。
もちろん、
めちゃくちゃレアケースだから見世物になる、
というレベルから、
何気ない普通のことなんだけど、
それが一番特別なんだよ、
というレベルまで、
色々ある。
でもわざわざ映画にするには、
「それは特別である」と言っているようなものだ、
ということだ。
逆に、
特別でもないものを、特別のもののように描いたり、
特別なものをそうでないように描くのは、
誤っている。
もちろん、狙ってそれをやり、
そういう効果を出す手もある。
好きな子からもらったプレゼントは、
どんなものでも良い。それが平凡であっても、
特別になったりする。
あるいは、
キャビアをどぶに捨てる場面は、
何かの含意がないと成立しない。
そうした意図がなく、
「特別でもないもの」をただ描くのは、
つまらない映画の特徴だと思うな。
ということで、
何かしら特別なものが期待されている。
わくわくするという感情には、
その成分が入っている。
その「特別」を、
有名芸能人が出演する、
だけにならないように気をつけることだ。
それはガワでカバーしてるだけで、
中身の何が特別なのかを、
気にしていないことになってしまう。
2026年08月12日
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