2026年08月12日

「映画になる写真」とはどういうことか

twitterで見かけたのだが、
とある犬と男の後ろ姿の写真があって、
光線が良い感じになってて、
「映画になる」「映画化決定」みたいなコメントがついてたのね。

それはそうと思ったんだけど、
逆に「映画になる」ってどういうことなんだろう、
「映画っぽい」ってどういうことなんだろう、
ということを考えてしまうわけだ。


多分「特別なこと」が、
映画っぽいことの条件のような気がする。

ふつうにある、ただのしょうもないものは、
映画にならない。
映画に期待されることは、
「特別な、わざわざお金と時間を払って対価として得られる、特別なもの」
じゃないかしら。

それがガワのこと(光線やキャスティングや、
大音量や4Kみたいな高画質)であるべきではない、
というのが僕のこれまでずっとやってきたことだ。
それは仏作って魂入れずだよな、
ということだ。
もちろん、正しい魂のいれどころとしての、
正しい仏はあるべきだ。


じゃあ、中身が特別ってどういうことなんだろう。
めったにないこと、ということだと思う。

ただレアなだけじゃなくて、
レアかつ特別に大事にしたいもの、
という意味もあるかもね。
そういう意味では、「有難い」の原義、
めったにあるものではないから、
よろこばしい、感謝する、ということになるわけだ。

犬とおじさんの、
なんでもない写真なんだけど、
あの時たしかにあった幸せの時間、
みたいな特別感があった。

どっちかが死んだあとに思い出すみたいなことなのか、
ただのいつもの幸せな時間として描くのか、
気づいてなかった実は貴重な時間として描くのかは、
映画の文脈によるだろうけど、
大体そういうことかもしれない。


何か事件があると、
良く「映画化決定」みたいなリアクションがあることがある。
これも、
「めったに起らない、特別な事件だから、
映画になるんじゃないか」
ってカンを表現したものだよね。


もちろん、写真のトーンや芝居で、
それらしい写真をつくることが出来るが、
それはガワの話で、
我々は、
なぜそれを描くのか、それがどういう効果があるか、
という中身の話を、脚本でするわけだ。

それはつまり、
「特別なものだから、描く価値がある」
だと思う。

もちろん、
めちゃくちゃレアケースだから見世物になる、
というレベルから、
何気ない普通のことなんだけど、
それが一番特別なんだよ、
というレベルまで、
色々ある。

でもわざわざ映画にするには、
「それは特別である」と言っているようなものだ、
ということだ。

逆に、
特別でもないものを、特別のもののように描いたり、
特別なものをそうでないように描くのは、
誤っている。

もちろん、狙ってそれをやり、
そういう効果を出す手もある。
好きな子からもらったプレゼントは、
どんなものでも良い。それが平凡であっても、
特別になったりする。
あるいは、
キャビアをどぶに捨てる場面は、
何かの含意がないと成立しない。
そうした意図がなく、
「特別でもないもの」をただ描くのは、
つまらない映画の特徴だと思うな。


ということで、
何かしら特別なものが期待されている。
わくわくするという感情には、
その成分が入っている。

その「特別」を、
有名芸能人が出演する、
だけにならないように気をつけることだ。
それはガワでカバーしてるだけで、
中身の何が特別なのかを、
気にしていないことになってしまう。
posted by おおおかとしひこ at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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