そもそも僕らは文章を書くのが目的だ。
その文房具がどうも合わないので、
もっといいのがあるらしいと聞きつけたり、
自力開発しているわけだ。
でもついつい配列マニアになってしまう。
これってギターマニアに似てる?
もともとなんらかの曲を弾きたくてギターを始めたはずが、
いつのまにかギブソンが、フェンダーが、
なんとかが……とギターコレクターになってしまい、
全然弾かなくなる例はたくさんあると思う。
他にも、
小説を書きたかったが書いてない万年筆マニア、
料理を作りたいのに調理器具だけ集めてるマニア、
プラモをつくりたいのに箱積みしてるマニア、
旅行が目的なのにいつのまにか鉄道マニアになってる人、
強くなるのが目的なのに武術マニアになってる人、
世の中の真理を解明したいのに科学史マニアになってる人、
正義を実現したいのに判例集マニアになってる人、
愛が目的なのにいつのまにかセフレコレクターになってる人、
文字を打つのが目的なのに、自作キーボードコレクターになってる人、
などなど、
人の特性は似通っているのかもしれない。
もちろん、手で触るものだから、
ほんのわずかな歪みや、スペックの違いは気になると思う。
だから、いろんなものを調べて、
実際に触ってる感覚を比較して、
合ってるもの、合ってないものを探す過程は必要だ。
だから比較記事や、現在配烈かな氏が進めている、
横断的比較サイトは重要だと思う。
ジャーナリズムができる人が今までいなかっただけの話だ。
僕が薙刀式を作り始めた頃にくらべて、
自作キーボードは発展したし、
ATCはやってるし、
たくさん新配列も生まれたしね。
とはいえ、
単なるマニアになってしまい、
プレイヤーから退くのは、
本末転倒では?と僕は思ってしまう。
なんのための道具?ってね。
道具は手段であるが、
手段が目的になるべきではないよね。
僕は○○へ行って、○○や○○をするために鉄道を使うのであり、
鉄道そのもののスペックは、
大体良ければそれでいいし、
心地よいことの方が重要だろう。
形式番号とかモーター出力とか、
それが「今やりたいこと」に相関係数として出てくるならちゃんと見るけど、
そのスペックが大きく外れてなければ、
なんであってもいいんじゃね、くらいの感覚。
だから薙刀式はもう8年も、
ああでもないこうでもないと18もバージョンを変えながら、
乗り心地をよくするために改良を重ねている。
なんのための配列か?
なんのためのキーボードか?
あるいは、
この配列で、このキーボードで、
これだけの文章やコードを書きました、
という話をしないと、
単なるギターマニアの話になりがちよね。
僕は薙刀式×ワンショット漢直とフリックと手書きを使い分けながら、
日々ブログを思いつきで更新してるし、
脚本書いてるし小説をたまに書いてる。
メールやチャットはPCなら薙刀式だ。
手書きとフリックだと、
通信や印刷する深目の原稿には足りない。
(手書きは読めないw)
そのために薙刀式×ワンショット漢直がある感じだなあ。
もちろんマニアのコレクションはたのしい。
スペック比較もやるべきだ。
スペックが最高なのに使われないのはなぜか?とか、
スペックが低いのに人気なのはなぜか?みたいな、
分析があってもいいと思う。
で、スペックと実態があってないなら、
計算と現実が合わないわけで、計算が計算しきれてないところが、
現実にあるってことだと思う。
○○配列を導入しました、
というギターマニアの言葉で終わらずに、
結局○○を弾いたりライブやったりしてます、
という、目的や結果の話もしたいよね。
たとえば大西配列やEucalyn配列はローマ字最高峰ではないが、
日英共用だから、コーディングや英文書く人で、
日本語と半々使う目的ならば一番便利かもしれないわけよ。
描かれる絵が何かで、筆なんて変わるじゃんね。
2026年08月19日
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