文章力は文房具で変わる。
書きにくくて書けないボールペンでは、
書く前に文章がどこかへ飛んでいってしまい、
最後まで論考に集中できない。
そんな論外の例は置いといて、
主観的にスムーズに書ける文房具ならば、
なんでもいいか?という想像をしてみる。
まず文章力というのは、
スカラー値のような形をしていない。
ある面で突出してうまかったり、
ある部分では下手くそだったりという、
ベクトル値を取るようなものだ。
それでも全体的な印象とか部分点で、
人は文章力を判断する。
総合点で判断する人もいれば、
一つでも染みがあれば全否定する人もいれば、
たった一つの何かだけで全肯定する人もいる。
なので、文章力は、
筋力測定のようなスペック表にはできなくて、
でもなんとなくある「頭の良さ」みたいな、
もやっとした何かのように思われていると思う。
経験的に言われていることは、
「文章は書けば書くほどうまくなる」だ。
もちろん例外もあろう。
1発書きで芥川賞を取れる人もいるかもだし、
100万回書いても駄文しか書けない、成長しない人もいるかもしれない。
ただ、おおむね言えることは、
「文章力がうまい人は、沢山書いてきた人が多い」だ。
これは必要十分条件ではない。
経験的には、沢山書くとうまくなる確率が高い、
ぐらいがわかっている、というだけの話だ。
これは習い事全てに共通するだろう。
絵、スポーツ、音楽、勉強など、
大体あらゆることに共通で、
文章だけがそうなのではないと思う。
さて、
キーボードとその配列だ。
僕が考えるうまい文章というのがあり、
少なくとも僕はその中のひとつの奥義を体得したつもりになっていて、
それは手書きで沢山書いてきたことによって、
磨かれた自覚がある。
これがなくても文章力が高いものが書けるかもしれないし、
手書きで体得しなくてもできるかもしれない。
だけど僕の感覚では、
「このうまさ」は、qwertyローマ字では体得できないと感じる。
仮にそれをAと呼ぼう。
Aが薙刀式で体得できるかは、
まだ検証できてない。
また、
僕の考える文章力の高さ(のひとつ)に必要な、
この条件Aは、
qwertyローマ字では体得できないので、
qwertyローマ字は文章力Aを阻害する、
と僕は考えている。
それが、言葉が棚に置いてある感覚、
というやつだ。
僕の脳内では音がないため、空間感覚でものを書く事になる。
その空間の手がかりが、qwertyローマ字ではバラバラのぐちゃぐちゃだ。
そのぐちゃぐちゃの倉庫から取り出してくるときに、
とても遅くてわかりにくく動線がぐちゃぐちゃなので、
少なくとも棚に置いてあるものをすばやく取り出して、
的確な言葉をその場で編んでいく行為Aは、
qwertyローマ字では発達しづらいと思う。
それが薙刀式で発達するかはわからない。
僕が手書きで体得する前に戻らないと検証できない。
ただ、このAをすでに持ってる人が、
薙刀式を使うとqwertyローマ字で阻害されていたAの感覚を、
(ある程度)解放できる、
はいえそうだ。
これは脳内で起こっている感覚のことなので、
検証がとても難しい。
幽霊が見えることやSTAP細胞があることと、
どう違うのだといわれてもわからない。
ただ寿司職人がカンでわかっていることや、
スポーツ選手がカンでわかっているような、
体感的な何かの身体感覚、というものに近い。
MRIで測定できるのなら被験者になってみたい。
さて、文章力があるのかないのか、
というそもそもの前提が定義しにくいものだ。
だけど、
何言ってるかわからん下手くそな文章はあるし、
感動したり拍手できるうまい文章はあるし、
その間もあるし、
毎回安定する人も不安定な人もいるし、
成長も感じられるから、
感覚としてあるのはたしかだろう。
noteで薙刀式に関する議論でもサーフィンするかー、
などとうろうろしていたら次のような記述をみつけた。
> 大岡さんやラクダエンさんがよく言っている薙刀式が語彙が置いてあるとかなんとかなので使うだけで文章力が上がる(意訳)というのは、その、ありえるの?
そこまで短絡できるかはあやしいが、
「Aという能力を阻害する配列はある」
「阻害しない配列ならば、Aという能力は開花するかもしれない」
はいえそうな気がする。
再現実験や対照実験が難しいジャンルの話だ。
「強さ」という定義し難いジャンルに、
4段とかの段位制を導入した伝統武道や、
戦闘力53万を導入したドラゴンボールくらい、
「文章力」が近似出来れば、
測定可能になるかもしれない。
仮に俺が直木賞を取っても、
大岡が文章がうまいだけで薙刀式の優位性を示したわけではない、
までしか言えない。
(薙刀式が邪魔しなかった、までは言える)
なので、
証明できないがありそう、
という怪しい世界の話だ。
僕は自分の文章が歪められるのが嫌で、
キーボード配列という世界に入った。
qwertyローマ字に比べれば、
ずいぶんマシな世界を作れた。
でもなー、カナ漢字変換やってる限り、
文章力は身につかない気はするんだよな。
デジタル全般だけど、
あちらのものをこちらに動かす力はつくけど、
0から削り出す力はつかない気がするんだよな。
デジタルってそういうものだからかもだ。
(AIコーディングがそれを突破するかもしれないが、
所詮はどこかで見たものの組み合わせになるのかしら)
すべては主観だ。
文章も主観で、みんなが読んでわかるだけだ。
つまり、主観の外の世界を、
主観としてどう解釈して、別の主観に取り込むかかが文章である。
(諸説あります)
まあ、もちろんいつか科学がこれらを解き明かすかもしれないが、
それは数年後ではなさそうなので、
自分の用途に欲しい事をやるしかないのだ。
プラシーボで薙刀式使って文章が上手くなったら、
それはそれで文章力と相関があることになるけどねw
誰も「次書く文」を保証しないよなあ。
2026年08月23日
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https://note.com/hyoudoumujin/n/n43131fb8de48
あと、ずっと気になってましたが、薙刀式関係ない他の配列などの話でも、記事タイトルに毎回【薙刀式】と入っているのすごい違和感です。やはりご自身の布教活動にしか興味がないんだな、と思わざるを得ません。フラットな目線が欠けている。新配列も自分が批判したいやつをピックアップして選んで否定の記事を書く。薙刀式への反論や、そのような言説、それに類する配列などで一定の合理性があるものには殆ど触れずにスルー。明らかに保守の動き方です。これで月間15万PV集めているからと誇らしげに言われても、その責任を果たしているのか言われたら甚だ疑問です。ただの名誉に飢えたおじさんの承認欲求ブログでは。
ごいけんありがとうございます。