2026年08月27日

【薙刀式】文章とはn次元の思考を1次元にまとめること

思考は何次元かはわからないが、
少なくとも1次元ではない。
多数の要素が同時に走るし、
あるところの発火が他を発火させたり抑制させたりする。
その実況中継が文章ではないのはたしかだ。
(いや、そういう人もいるが、
そう書く人は支離滅裂で下手な文章の人だ)

そして思考が終わってから文章を書くのではなく、
書きながら思考は変化していくという、
フィードバックループが文章を書くということだ。
つまり書くことが思考の一部になっているわけだ。


僕は手書きならばこれをずっとやってきたのだが、
デジタル移行につまづいたままだ。

10年ほど試行錯誤を重ねて、
ようやくまともに思考しながら文章が書けるレベルにはなってきた。

ところが、
僕は脳内発声のない、わりとレアな思考をしていることが途中でわかり、
多くの人は脳内発声があり、
それを音韻ループに放り込んで、
音声として保持したまま思考が出来る、らしい。

脳内発声になってる時点で、すでに1次元なんだな。


僕はそうではなく、
頭の中に様々な思考が宙に浮いている。
それらがどのような1次元になればよいか、
構想するか、
あるいは長年のカンで、
ここから書けば整理しながら1次元に収められるだろう、
と書き出してから思考の続きをする、
みたいな書き方だ。

これが支離滅裂にならないのは、
長年の訓練の成果かな?
才能かな?
普段やり慣れてる、というのはデカかろう。
「まあそこまでは走れるやろ」という感覚と同じだ。
なのでこれは多分鍛えられる能力。


僕にとっての「書く」とはこのようなものだけど、
多くの人にとっては、
脳内発声の1次元になった時点が「書く」の本質?で、
手はそれを書き留める(コピー打鍵)、
という理解で合ってるのかしら。

だとすると、手で書いたことによって思考が進むということはあまりなく、
トコロテンやベルトコンベアみたいに、
手に丸投げして、脳内の1次元を減らす作業になってしまうのではないか。

もちろん、脳内で言う事によって、
思考がクリアになり、
その先を考えることができるような、
僕にとっての「書く」が思考を進める、
というフィードバックがあるだろうけど、
それ、起こるタイミングが違うね。

僕の場合は、思考、手、思考、手と、
ふたつが同時進行しつつ影響を与え合っている。
書きながら考えるし考えながら書いている。
順番にリレーすることもあるし、同時並行がデフォだ。
だから、「手で考える」感覚もある。

でも脳内発声があると、
思考と声がその役割になって、
手は置き去りになってない?って思ったのね。
蚊帳の外扱いみたいな。

脳内発声がある人のことを想像できないので、
分かる人フォローください。


僕が人と喋ってる時は、出力器が口なので、
思考と口が、書いてる時の思考と手の関係になる。

口が滑ることで思考が進み、
思ってもなかった事を言うことはよくある。
自分が考えてもなかった新しいアイデアだったり、
無意識にあった変なことであったり、
様々なことがよくある。

これが僕は、書く時は思考と手の関係になるだけなのだが、
脳内発声がある人は、
思考と口の関係は維持したまま、
手に記録係をやらせる、
という理解で合ってるのかしら?



そういう意味では、
ローマ字系、メジロ式のような速記系、
短縮入力のある拡張入力系、漢直は、
脳内発声がある人が、
音のまま手に丸投げして、
なるべく早く書き取ってくれ、
というやり方に向いている気がする。

一方脳内発声がなく、
思考と手でループするタイプの人は、
カナ1単位(1文字、1モーラ)を、
1アクション単位で出せるタイプの、
トコロテン系な配列が向くような気がする。
1次元に編み込むような動作だからだ。
編目がそろってるほうが扱いやすい。

ワンショット漢直で60字ほど前置シフトで2打になってるやつがあるのだが、
これが全然馴染めなくて不快だ。
1単位でなくて2単位になってしまってるからだろう。
月配列系が何回試しても僕が無理なのは、
こうした理由がありそう。


自分が今まで試した中では、
下駄、新下駄、飛鳥が、トコロテン方式の1次元に落とし込みやすかった。
新JIS、JISカナ、月配列は、2打があるので使えなかった。

これらはなんでやろ?
と考えるに、
上のような脳と思考と口と手の違いなのでは、
ということまで観察が至った感じ。
(実際には脳内発声のある人の脳内を見れないので、
解像度の高い理解をしてるかはあやしい。
また、全ての人が自分の脳内について、
解像度高く理解してるわけでもない)


また、意味論的な話をすると、
ワンショット漢直の、空間に漢字が並べてある感覚はとてもよくて、
(とくに方向・時間面)、
脳内のn次元空間に近い気がしている。

僕は少なくとも三次元方向に思考を散らしていると思う。
左のほうで考えていること、前の上のほうで考えていること、
右下のほうで考えていること、などだ。
これらが互いにネットワークで結びついて発火し合ってるイメージ。
MacのOS9までは、この感覚を2次元で体感できたんだけど、
WindowsやOSX以降はグリッドに強制的に揃えられてしまうため、
この感覚がかなり削がれて不快である。

これは根拠のないことではなくて、
左は過去、右は未来のことが多いらしいことはよくいわれる。
浮気の事を聞いたときに、
左を見て考えてたら事実ベースを思い出している、
右を見て考えてたら架空ベースなので嘘をついている、
みたいな民間心理学もあるくらいだw
これは、ポスターデザインや絵描きや映画では常識で、
左右空間で意味が違うのを利用(または無意識に利用)してることが多いね。

なので、
「空間を使って考える」のに、
ワンショット漢直はかなり都合のいい形をしている。

とはいえ、
Aが終、Gが今なのは逆じゃね?とか、
ラストは最近なのか最新なのかの問題もあり、
文脈によって空間感覚は変わりそうだ。
(実際、今と終は使いこなしてるまで行ってなくて、
現在反転を試したりしている)


n次元の思考がどのようにして1次元の文になるのか、
というのは、認知科学で研究進んでるのかな。
詳しくないのでどなたか基礎が知れるものがあったら教えてください。

まあ、僕の目的は、真理の解明自体ではなく、
ストレスなく脳から文を編み出したいだけなので、
そこに使えるものがないから、
自分でテストしながら発明してるだけなんよな。
それに科学が援用できればいいが、
現場の知恵みたいな総合的なものは、
統合されてない専門科学からは予言出来ないからなあ。


ということで、
着地点を考えずに走り出したので、
現在地点の俯瞰にとどまったw


僕は日本語を筆で書く感覚で、
タイピングしたいと思っている。
続け文字の感覚や、書き順の空間感覚などが、
タイピングに移せるといいなと。

それらの感覚が、思考を励起すると考えられる。
そうやってフィードバックしながら、
文は1次元で進んでいく。
posted by おおおかとしひこ at 20:36| Comment(6) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> 多くの人にとっては、脳内発声の1次元になった時点が「書く」の本質?で、手はそれを書き留める(コピー打鍵)、という理解で合ってるのかしら。

私が多くの人と同じなのかどうかは分かりませんが、概ねそのとおりです。私は、「書きたいこと=言いたいこと」なので、文字にするまでもなく脳内で語ることで作文し、自己完結しています。眼の前に居ない誰かにそれを伝えるには、文字に起こす必要があるので、仕方なくそうしているということですね。
とはいえ、そんなに長文は覚えきれませんから、備忘録として筆記するという側面もあります。

> だとすると、手で書いたことによって思考が進むということはあまりなく、トコロテンやベルトコンベアみたいに、手に丸投げして、脳内の1次元を減らす作業になってしまうのではないか。

ところが実際に文字になると、口語がとたんに文語の顔をし始めるので、途中から全く脳内と違う話に変化するということもあります。書くには書くの特性があるのは間違いありませんから、手で書くことで論がまとまりやすいという感覚もあります。
そもそも、脳内にあるn次元の思考が、「語り」の状態で保管されていたりもするので、思考を巡らせるというのは、自分と別の自分との会話になっていたりします。
Posted by 田中 at 2026年08月27日 22:48
>田中さん

>ところが実際に文字になると、口語がとたんに文語の顔をし始める

へえ、言文一致ではない、ということですね。
仮に口語のまま記録するなら原始的なトコロテンモデルで、
誰かに言うのがそのまま記録されるとして、
文語になると、
文語自体がどこかで成長を始める、的な感覚であると。

仮に、文語自体が文語の思考を連れてくるのだ、とすると、
やはりそれは音としての文語ですよね?


> 手で書くことで論がまとまりやすいという感覚もあります。

手を介さない場合、
たとえば誰かに言うスタイルで文語を続けることと、
どう違うんでしょ。慣れの問題かしら。
パブロフの犬みたいに、手で書くと文語スイッチが入るのかしら。

(僕の場合、口語を書くのも脳内発声なしで書きます。
仮に文語スタイルでしゃべるとしたら、
慣れてないからだいぶつっかえつっかえになりそうです。
なので音声入力はだいぶ無理かなと)


>そもそも、脳内にあるn次元の思考が、「語り」の状態で保管されていたりもする

なるほど? それは同一人格なのか複数人格なのかどっちなんでしょ。
僕は複数人格だと考えています。

バラバラに発火した脳内の部分を、
統合人格がまとめることが発言、発話、書くことであると。
多重人格障害は、このネットワークの機能不全
(統合人格の機能不全や、バラバラなのが連絡を取れない状態)
では?と考えています。
Posted by おおおかとしひこ at 2026年08月28日 02:28
> 文語自体が文語の思考を連れてくるのだ、とすると、やはりそれは音としての文語ですよね?

文字としてのイメージの場合もありますが、その場合でも大半は音が付随していると思います。

> 手を介さない場合、たとえば誰かに言うスタイルで文語を続けることと、どう違うんでしょ。慣れの問題かしら。

たとえば太宰の『頗る不快そうに呟き、毛虫でも払いのける時のような手つきで、』という一文を作るとするなら、脳内では『「うええっキモお!」て言いながら、毛虫をサッと除けるみたいにして』くらいになっているものを、太宰風に装飾を施すという流れになります。
ちなみに文字になった太宰風の文章と、脳内文章では、声が違っています。

> パブロフの犬みたいに、手で書くと文語スイッチが入るのかしら。

同時通訳的だと思います。よそ行きの言葉と、家族に対する言葉を使い分けるくらいの感覚です。

>それは同一人格なのか複数人格なのかどっちなんでしょ。僕は複数人格だと考えています。

大岡さんの言葉を借りてn次元とは言ったものの、私の中にはせいぜい3次元くらいしか奥行きも幅もない気がします...
基本的には、置かれた状況に応じた1人が居るだけで、必要に応じて後の2人くらいが登場してくるという感じでしょうか。

>バラバラに発火した脳内の部分を、統合人格がまとめることが発言、発話、書くことであると。

そう思います。
ちなみに私は、人格というのは「置かれた状況に合わせるための思考の道筋」と同義だと考えています。
信念といわれるような一見確からしい何かも、単に膠着した状況(あるいは逆に、あまりにも不安定で心がおけない状態)がそうさせているに過ぎず、人類が蓄積してきた過去資産を都合良く組み立てたり、再発明した結果、その人固有の思考が形づくられたものかと。
Posted by 田中 at 2026年08月28日 09:25
>田中さん

詳しくありがとうございます。
大きくいうと根本は同じ構造で、
表層のディテールが違うっぽい感じですね。

僕の中の音ではない形の思考が、
音(声色、役柄)として存在するのかなあ、
と想像しました。


>たとえば太宰の

役を演じる感じなのはおもしろいですね。
両方の音があるのかしら。

僕の場合は一つの意味空間みたいな感じがあり、
「どこから見るか」を視点移動させて、
手がそのときの文体として編んでいく感じです。
なので文体は手から出るんですが、
すでに脳内に文体があるんだなあ。

>同時通訳的

これを考えると、俳優はこれらが得意なのかもですね。

>>複数人格

やはり予想通りでした。
おそらくこの構造自体は人の脳内でなんとなく共通する構造で、
外に出るルートで、経路が異なってるのではないかなあ、
と予想します。

3人なのか10人なのか、それぞれが統合されてるのか、
人によって違うんでしょうねえ。
僕は音声記憶がほぼないので、一字一句を覚えるのが苦手だったりと、
一長一短だと思いますね。
Posted by おおおかとしひこ at 2026年08月28日 10:18
> 僕の中の音ではない形の思考が、音(声色、役柄)として存在するのかなあ

多分、そうなんだと思われます。

> 僕の場合は一つの意味空間みたいな感じがあり、「どこから見るか」を視点移動させて、手がそのときの文体として編んでいく感じです。なので文体は手から出る

これが、私にはピンと来ないところなのです...
ときどき、マインドマップを描いて頭の中を整理しよう的な話を聞くことがありますが、あれに近いのでしょうか。あれも個人的にはピンと来ないのですよね。

薙刀式の真髄が、その意味空間にあるというのは、理解できるところです。手で取るという感覚と、キーを押すという感覚がリンクしやすいだろうことは、容易に想像できますので。
故に、私は薙刀式の真髄に触れることができないのではないかという一抹の寂しさは、ちょっと感じていたりします。
無論、十分に満足できていると言えるのですが、本来はもっと満足度が高いものなんだろうな、と。
Posted by 田中 at 2026年08月28日 12:44
>田中さん

>これが、私にはピンと来ないところなのです...
>ときどき、マインドマップを描いて頭の中を整理しよう的な話を聞くことがありますが、あれに近いのでしょうか。

そんなイメージでよいです。

音はどこから聞こえてるんでしょう。
左右上下があればそれだと思ってください。
なかったとしても、
仮に声の高さ順にピアノのように並べることができると思うので、
そんなイメージで考えてもいいかもです。

音を空間マッピングする感覚ですかねー。

まあそれがなかったとしても、
指の線の動き自体は気持ちいいと思うので、
それだけを楽しんでるのも良いと思いますね。
Posted by おおおかとしひこ at 2026年08月28日 16:03
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