かつて飛鳥配列は、作者Rayさんの言葉を打つのに最適化されているから、
飛鳥使いはみんなRayさんみたいな言葉遣いと思想になる、
などと揶揄された事があった。
そうなったかどうかは不明だ。
飛鳥使いはまだ生き残ってるだろうから聞いてみたい。
ただ、第二の使い手かえでさんは、
別にRayさんの文体や思想に染まらなかったので、
上の仮説は棄却された(全員そうなるわけではない)。
薙刀式はどうなんやろ。
芸術の世界では、
道具が作風を連れてくることはある。
印象派の絵は、
べったりと塗れる油絵と太い筆ならではの技法だから、
発達した描き方だ。
シャーペンのような繊細な線では、
印象派の絵を描くことは難しいから、
道具が技法になることがわかる。
映画館の大スクリーンで見る映画と、
スマホの縦型動画では内容が全然違う。
(スケール感と日常感。カメラが全然違う)
バイオリンで弾く曲と、
エレキギターで弾く曲は全然違うだろう。
となれば、
キー配列が文体や思考に影響を与えて、
薙刀式を使う人々が、似た文体や思考になり、
みんな大岡になるのだ、
みたいな仮説は十分ありえる。
どうなんですかね。外から僕は見る事ができないのでなんともいえない。
ただ理屈が立ち、長文で首尾一貫した論を書ける、
というのは共通してる?
薙刀式を使い始めて急にそうなったわけではあるまい。
もともと自分にあったものが開花したか、
元の配列を使ってる時からもともとそうだったかだろう。
あるいは、なんらかの素養がなければ、
そもそも薙刀式を始めてない可能性は高いかもしれない。
とはいえ、みなさん個性的な人たちだから、
「すべてが大岡になる」わけではないだろう。
そんな世界気持ち悪そうだ。
かつて飛鳥使いたちも、
長文で議論を挑んでいたが、
それぞれの個性は保持されていて、
Rayさんが増殖したわけではなかった。
だけど飛鳥クラスタみたいな扱いをされてたような記憶。
いや、単に、ネットでは、
長文議論マンはうざがられてレッテルを貼られて、
隔離されがちなだけかもね。
それは単に知性ウゼーという嫌知観のようなものがあると思う。
僕は、
新配列を使った人が、
饒舌(強記)になることは必然だと思っている。
だって書くのが楽になるんですもの。
同じ思いに対して、
ああもこうも書けるようになるからだ。
それこそ新配列の救いだと思う。
そんなに書かない人でも、書く事が楽になるのでパパッと終わる、
ということで新配列は恩恵があるとは思うが、
書きたいのに書けない人を救えるのは、
新配列か、標準配列の特訓か、手書きがんばるしかないね。
その意味で、新配列コスパがいいのは、
たくさん思いのある人であることは間違いない。
そんな人たちが新配列を使って、
ますます長文を書いていき、薙刀式ウゼー、新配列ウゼー、
になるかもしれないが笑、
それで知性が進歩すれば、良いことだと思う。
東京の片隅で「新日本語配列薙刀式教室」をひらいても、
誰もこなさそうだけど、
ネット時代になって伝わる速度が速くなったのはおもしろいなあ。
人の影響の与える速度が速くなったわけで、
知性は進歩速度が上がったと信じたい。
でもなんとなくクラスタはありそうよね。
斧使いは野卑で粗暴だが根は優しい、
みたいなイメージあるもんな。
薙刀使いにおかれましては、個性を存分に発揮されて、
大岡とは異なる方向で爆発されたい。
なぜ彼らは深い知性をやどし、
こんなにも長文をサクサク書けるのか?
と言われるようになれば、
道具そのものの有効性がおのずと証明されたことになる。
今のところ大岡は増殖してないように見えるので、
安心しているが、
「深き知性」が薙刀クラスタであればいいんじゃないかしら。
そしてこれは薙刀式の専売ではなく、
新配列や、そもそも人類が目指すことだと思うんだけどね。
いや、人類や新配列は深い知性を目指さなくてよいのだ、
という一派も……まあいるかもしれない。
多様であってよい。
せめて長文薙刀使いは、書き散らしではなく、
まとまった思考を書き、編集モードのおかげー、
となっていたいものだ。
でもなんとなく「読む速度できれいに整えられた思考の軌跡」
みたいなのが薙刀使いの文章にはあるかもしれない。
すばやくリアルタイム思考が書き留められて、
しかも整えられてる感覚はあるかもな。
でも別に薙刀式だけでそれをやんなくてもいいよな。
新配列全体がひしめくべきだろう。
そうやってようやくデジタル日本語が、
層として日本の文化や知性を進化させていけばよいのでは。
2026年08月28日
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それは日頃近くで聞いているからであって、
配列ごとにいくら入力しやすい言葉があろうが、
結局入力するのは脳内にある自分の言葉です。
作者の文体や表現に寄ることがあるなら、
それは配列由来ではなくて、
日常で作者のブログや作品をメインに読んでいるからではないでしょうか。
>日常で作者のブログや作品をメインに読んでいるからではないでしょうか。
まあたまにそういう人いますよね。
言い回しとか単語の癖とか。
村上春樹読んだ人が文体ごと……影響される人もいるか……
僕はqwerty使ってた時より文体が柔らかくなったのはたしかなので、
筆記用具が自分に与える影響はあると思うけど、
普遍的な何かはあるかなーなどと妄想してみた次第です。
評価してくれる相手も居ないし、
分析するつもりもないので分かりませんが、
自分も実は影響を受けた文体になっている可能性はありますね。
入力時のストレスとか打鍵のリズムが変わる(自分に合う)ことで、
言葉を発することによりリソースを割けるようになり、
色々な性質を出しやすくなった(使い分けやすくなった)、
という考え方もできるかもしれないですね。
定期的に文章書いてないと、定性定量比較は難しいでしょうね。
○○配列を使う前と後で変わってるかどうか、
少なくとも本人レベルで自覚できるかは、
遡ってみる価値はあるかもしれません……
(まあ影響の受け方も人によるのでしょうが)
丸の内 の人の 業務日報は AIが書く。
話題の語 を ポンポンと入力
プロンプト> 日報 書いて
一度 味をしめたら 戻れない、 AIで時間短縮 パチパチパチパチ。
ここで 内部情報の漏洩 や テクノ封建制 の話は おいといて。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000512.000045863.html
日経新聞を 解約して AI に課金とか、経済ニュースは AIが読み上げる。
つなぎの語に注目の方式は 万字の会 の人々に。
未来 薙刀式に AI連携が入るか。
話題の語に注目の方式は AIプロンプト に。
人というのは安きに流れるので、
AIで阿呆が増える流れはもう止まらないでしょう。
ただ、養殖ものは安くてまずく、
天然ものはうまくて高い、
のような二極化はすすむでしょうね。
霞が関も下等な省庁はAI、上等な省庁は人間になるかもなー。
薙刀式は天然手作業のため、アンチAIです。